東京新聞エッセイ15回連載中
愛読している東京新聞からの依頼で、「わが街わが友」というリレー・エッセイを連載中デス。(08年2月6日(水)より土日をのぞく15回でこの文章を書いている2月15日(金)現在で7回目)
各界でご活躍の著名な方々のこのシリーズ、ずっと興味ぶかく拝読してきたが、とりたてて〔有名でもないボク〕にとってはソモソモ、〔自分そのものについて書く〕ということは初体験(!)であった。
まず、三人の子どもたちから「お父さんの小さい時のこと、初めて知った」と言われましたからネ。
そして「読んでます」という思いがけない人たちのいくつものリアクション。
かつてラジオのリクエスト番組の仕事をしている時、1枚のハガキは2000人のリスナーを代表していると思え――と言われたのを思い出した。
ぼくのエッセイを読むために東京新聞の購読を始めた人たちも大ぜいいて……。うれしいエピソードいろいろ。
いずれ、望田市郎→本庄一郎→本庄慧一郎の来し方をさらにこまかく書きまとめたいと意欲している昨今。
東京新聞の皆さんに、謝々!
墓参りというルンルン・タイム
このHPでも何度か書いたが、ぼくは趣味がありません。
つまり、本を買い求めること、本を読むこと。映画・演劇をせっせと観ること、音楽を聴くこと……みんな仕事につながるからデス。
実は〔気ままなさまよい歩き〕も大好きなのですが、これもやっぱり小説書きにとっては必修課目なのデスねぇ。
いまは時代小説で江戸時代を素材にしているけれど、現在の街のたたずまいやそこに暮らす人々の息吹を起点にして過去に遡るというイトナミは、これはまたボクの必修課目なのです。
もちろん、両の足をナヨナヨさせないために――もあります。
それで、仕事の区切り(350枚ほどの文庫一冊分を書き上げた時とか、著者校正の赤ペン作業を終了した時とか)にはさっさと出かけるのデス。といってもパリとかニューヨークなんて所ではなく、もっぱら「行きあたりバッタリ」のフリー・ウォーク。
わりと好きなコースは墓参りコース。
あの「トトロの森」のモデル地に近い、いわゆる〔公園墓地〕。
たとえば、ついこの間(2月11日)の寒さはきついがよく晴れた日には、ワイフと二人のルンルン墓参りは、ヨカッタ!
ふと「千の風になって」を口ずさむが――
私はそこにいません……。あのコトバです。
そう、ぼくも「死後」については「風になって」と思っています。
でもね、とにかく、血を分け合った人たちの、そしてかけがえのない人間としての縁(えにし)で結ばれた人たちの遺骨が安置されている場所には、ほかの俗っぽい場所にはない霊気のようなものを感じるのです。(断っておきますが、ヘンな宗教心は皆無です)
墓石を洗い清め、献花し、線香をくゆらす。そして、現在の自分とこれからの自分をしみじみとかえりみるのです。
やたらセカセカと忙しがっている〔都会人〕をホンのしばし捨てるのです。
ご先祖さまをダシにして、心の深呼吸――といった趣向ですなぁ。
ポケットウィスキーをチクとやってね、これ、とってもいい気分!
わが望田家の墓苑には、ミュージシャンの尾崎豊君の墓、マンガ家滝田ゆうさんの墓、画家いわさきちひろさんの墓などもあるので、毎回お三人に、心の内で「こんにちは」とあいさつをしたりするのです。
帰途はきまって、所沢の街の居酒屋で昼食。ナンデモアリのこの店で、昼間からワイフ相手に好きなサケを呑んでね、これがいいね。
でも、昼間からユーレイが出そうに荒れているお墓がずいぶんあるなぁ。お墓というのは子孫たちの気持や心の質がそっくり現れてしまうのデス。
バチがあたるとは思えないけど、結局、いいことないのではないかと、つい心配しとるのデス。
それにしても、ご先祖様の墓前に素直に立って、現在の自分を見直すとか考えるというのは、心とからだの健康のためには絶対の必修科目ですぞ。
そして昨日、2月14日。アホバカマスコミはバレンタイン・チョコがどうのこうのと姦しいけれど、こちとら夫婦は、吉祥寺経由の深大寺詣で心の洗たくをしました。
深大寺そば(そのタイトルを信じている!)と、香ばしいぬれせんべいとおやきを肴にカップ酒でホロホロ酔ってね。
ヘン! 何がコース5万円の三ツ星レストランだい!
そう、〔成り上がり〕にも〔成り下がり〕にもなりたくないなあ。
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