・「原爆症原告を全員救済へ。首相正式表明へ」
明らかに税金・公金の浪費、濫費、そして盗用ともいえるような〔事実〕が糾弾されているが、戦後60余年を経ても原爆症で苦しむ人々を救うのは当然!
でも、こうした〔首相の決断〕も、選挙前の人気取りといった行動に思えるコトは否めない。
アソーさん、自業自得だぜ。
・「広島原爆の日/核なき世界へ」
オバマ大統領のアピールに呼応して〔過去最多〕と記録された世界59ヶ国の参加があった広島の「原爆の日」。
それでも現在の自民党政府の人物の中には「核兵器の迎撃準備せよ」なんてほざく奴がいるぜ。
現在の「もし」や「いざ!」という事態は「地球全滅」ということなど、まるで考えていないヤカラがいるのだ。
・「芸能界の絶えぬ薬物/芸能界主な薬物事件表」
1980年〜2009年の事件一覧表をあらためて確認する。
ざっと86件の事例と関係ゲーノー人の名を眺める。
当方、ゲーノー界・マスコミ業界と関わって仕事をしてきたが、もともとゲーノー人は好きになれなかった。(ごく一部の人々を除いては!)
ちょっとチヤホヤされるとたちまちそっくり返る阿呆なのがゴロゴロしてたし、あきらかに危険人物と思われる奴が跳りょうしていた。
「やってはならないコトはやってはならない」――といった常識を守れない者が、いまの社会にはワンサといるねぇ。
・「大原麗子さんを悼む」
ギラン・バレー症候群という病気は「10万人に1人の確率」といわれている。
かく申す本庄慧一郎も丸4年前に罹病した。(小生の場合は、ギラン・バレー症候群亜型ミラー・フィッシャー症候群)
前日まではシャンとしていたにもかかわらず、翌朝には全身が弛緩(しかん)し、ボロのような状態に急変した。
全身の筋力がゼロになって、見えない、動けない、全身痛い。
暗黒の地獄の底を這いずっている――というのが実感だった。
担当して下さった先生の〔好判断〕で治療1ヶ月。そして早々に開始されたリハビリ――その療法士の皆さんの適切な(そして厳しい!)指導で、小生は100%復活した。
「ひょっとしたら3ヶ月〜5ヶ月入院も」という予測だったが、都合2ヶ月で(本人の意志を関係者の皆さんに具申をしたりして)退院した。
やはり、〔作家業〕を続行できるか否かがターニングポイントだった。
さいわい、医師・医療スタッフ皆さんのおかげで「本庄慧一郎は病気以前より逞しく憎らしくなったネ」と編集者や周囲の人たちに言われている。
大原麗子さんをはじめ、この病気に襲われた人たちのことを耳にしていて、その関係書にも目を通したりした――。
訃報の記事には大原麗子さんを主役にしたサントリーウィスキーCMが引用されている。
このケッ作CMの制作担当した人は広告代理店博報堂の藤井達朗さんだった。いい人だった。仲が良かった。
シャイで、優しくて、その笑顔に慈味があった。
大原麗子さんのCMは東京で制作されたが、それ以前は大阪で活動していて、小生(本名望田市郎で仕事をしていた)が大阪に出向いての宿泊先を市内のホテルに決めると「望田さんは京都がピッタリ」と言って、京都八坂神社近くの数部屋しかない小粋なお宿に案内してくれる人だった。
その藤井さんも早々にガンで亡くなられた・・・・・・。
さまざまな感慨に捉われての夏である。
・蛇足――改革とか改正というコトバを使ってエテガッテな〔改悪〕をやってのけるヤカラの行動を見逃してはならぬこの選挙である。
追伸の追伸
タイトルは「華屋与兵衛人情鮨/両国月の縁(えにし)」(廣済堂文庫)。店頭には8月20日頃に並ぶとか。
オビのコピーは「酸いも甘いも噛み締める鮨屋の主人(あるじ)・与兵衛が悩み揉め事、厄介を解決する」
そして裏表紙の解説文は「江戸前の活きのいい旬の魚貝を、彩りや形の美しさで楽しみ、味わい食する粋な鮨屋〔華屋〕が江戸庶民の評判を呼んでいた。
店主の与兵衛は、若狭・小浜で生まれたが、十歳の折り一家離散の憂き目に遭い、故郷を追われるようにして江戸に辿り着いた。
辛酸を舐め、修業時代に知り合った同郷の浪人や船宿の兄妹たちと家族同様に付き合いながら、屋台の鮨屋から、大店の主へと大成功を収めた与兵衛。
辛苦に喘いでいた若い頃に受けた恩を返すべく、困惑している人々に与兵衛は救いの手を差し出す!
江戸情緒豊かに描く人情時代小説。」
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この作品を「もうひとつの出発」と心得ての心機一転です。 どうぞご声援のほどを。
本庄慧一郎