「ニッポンの芸能人」シリーズ16


ゴーマンという名の穴ぼこ
 前回、50年という歳月をふり返って、小沢昭一さん、熊倉一雄さん、またデュークエイセスの谷道夫さんのことなどを書いた。
 音楽関係では、つづいてクラリネットの北村英治さん、トランペットの光井章夫さんのこと、またピアノの世良譲さんのことを書くつもりでいたが、ちょっと気が変わった。
 毎月曜早朝4時、3種の新聞を読んでからこのHPの原稿を書くのだが、各新聞の社会面に「中村七之助容疑者を逮捕・タクシー代払わず警官の顔を殴る」の見出しと記事を読んで話題を変更したのだ。
 「またか」のゲーノー人暴力事件である。
 つい先日マンザイ出身の島田紳助の暴行事件でガタガタ騒いだテレビ・ゲーノー界だが、「また!」なのである。
 テレビ・ゲーノー界における、虚名(人格形成や実力を伴わない人気)や、過剰な収入(まじめに働いている者には想像のつかないような高額報酬)で多くの者が神経を狂わす。
 ゴーマン病に取り憑かれるのだ。
 バラエティ番組とやらの司会をやっているM・MとかT・Jとか、B・Tとか、それにTとかの1回の出演料がン百万エンだとか。
 したがって現在、似たようなフィィールドでチヤホヤされている未成熟な者が狂うのは当然かもしれない。

ドツボ人種という者の群れ
 ぼくの親しい友人であるO・Yさんは、最近「さらば! 放送界」という本を著わして放送ギョーカイを背にした。
 「いやだね、ドツボにはまった人間は」と強調する。100パーセント同感である。
 ドツボとは「ど壷」のことだ。ぼくは同じ意味をこめて「タコ壷のタコ」といってきた。
 もうひとつ「穴の中のサンショ−魚」ともいってきた。(井伏鱒二の名作でおなじみの小説がある)
 このドツボ人種は、もっぱら「ウチウチごっこ」で明け暮れる。
 かつてはヤクザや暴力団の皆さんが得意としていた処世術である。この「ウチウチごっこ」、最近は政治家たち(ウサン臭い金にかかわる裏取引など)が、企業集団トップ(NHK会長をめぐる権力妄執劇とか、西武グループ代表の醜聞とか、枚挙にイトマがない)たちの行状とその末路。
 いや、どうにも我慢ならないのは、役人たちの公金食い散らかし(社会保険庁・大阪市・警察機構等、そして……これもまたきりがない)事件の汚職行為。
 どれもこれも「ウチウチごっこ」の「ドツボ人種」の仕業である。
 ぼくはこんど中村勘三郎を襲名する中村勘九郎さんが大好きだ。(彼が五、六歳の頃、故三木のり平さんとの掛け合いのラジオ番組の録音現場をのぞき見した)七之助はその賢く実力のある勘九郎さんの子だがやっぱり「ウチウチごっこ」に甘やかされてゴーマンになったのか。

和田アキ子と美川憲一の言葉
 島田紳助が暴行事件を起こした時、テレビのインタビューに答えた和田アキ子と美川憲一の言葉にはウンザリした。
 それこそエラソーに「才能あるんだからさ、早くカムバックしてほしい……」だってさ。
 そういう自分たちだって、過去にはかなりアブナッカシイことやってる。目クソ鼻クソの関係のような気がしてならない。
 この「ウチウチごっこ」の感覚と思考は、どうしようもない「ドツボ人種」特有のものだ。
 そういえば、世界政治の場でも、アメリカのブッシュとか、北朝鮮の金日成とか、これまたどうしようもない根腐れ人間のようだ。
 「ウチウチごっこ」の汚染環境で培養された「ドツボ人種」は、例外なくゴーマンなのである。
 「好漢自重せよ」なんて言葉もあるが、ゴーマンの病根はそうたやすく駆除できないのと違いますか?「人間って哀れだなあ!」
 この種の人間は、歌謡曲界、いわゆるフォークの連中、そしてシャンソンといった辺境にもウヨウヨいるようだ。そうそう、広告・CMギョーカイにもウサン臭いドツボ人間がいるなあ。それは、またの機会に書きたい。

— posted by 本庄慧一郎 at 10:41 am  

「ニッポンの芸能人」シリーズ15


生理用品から公園墓地まで
 テレビ・ラジオの広告・コマーシャルの仕事では上記の小見出しのコピーそのまま「生理用品から公園墓地まで」やった。扱ったことのない「必需品」としては棺桶ぐらいか。
 なにしろ「いま○×の棺桶をお買い求めになると新品をもう一つプレゼント」というわけにはいかないモノだからね。
 うんざりするほどの数の制作物の中でもとりわけ印象ぶかいのは、スコッチウィスキー「カティサーク」のTVCMである。
 企画・コピー・作詞・プロデュースまで担当した忘れられないものだ。
 スタンダードものの出演者は真野響子さん。12年ものスペシャルは先代松本幸四郎さん。(のちの白鸚さん。そしてこの人が初代の「鬼平」であることは皆さんおなじみ!)
 企画・コピー・作詞はもちろんぼく。
 歌は、北原ミレイさん、小林幸子さん。
 作曲は北原ミレイの分は故八木正生さん。小林幸子分は三木たかしさん。
 白鸚さんの楽屋(京都南座?)へいってお話したり、鎌倉八幡宮鳥居前のお宅へ参上して打合わせをした。
 美しい奥さま(現在の松本幸四郎・中村吉右衛門さんのお母上で、市川染五郎・松たか子さんのお祖母様)がレストランを経営なさっていて、上等なワインとフランス料理をごちそうになった。

ジェントルな白鸚丈
 白鸚丈のご子息たち――松本幸四郎・中村吉右衛門さんはこれまた折目正しい紳士でいらっしゃるが、白鸚丈は当時すでに「人間国宝」の称号でよばれていたが、じつにおだやかで気品のあるお方であった。
 アルコールは体質的にあまり合わないということであった。(アサヒビールの高倉健さんも同様だった)
 「カティサーク」のCMの映像構成は、歌舞伎の「トンボ――空転」のけい古風景で、白鸚丈の左右に並ぶ若手俳優が、中心にいる袴をつけた白鸚丈の気合いをきっかけにいっせいにトンボを切る――そのユニークな動きをあの「東京オリンピック」を撮影したカメラマン・長野重一さんがスローモーションで撮った。(その画面の美しかったこと!)
 場面変わって、和室で白鸚丈がカティサーク12年もののオンザロックを味わうという段取りだ。
 その時、白鸚丈は、手にしたオンザロックのグラスにたいしておもむろに顔を近づけてのんだ。
「あの……それは日本酒の升酒をのむ場合で、ウィスキーの場合はグラスを唇に近づけてください」と恐る恐る注文した記憶がある。
「いやあ、不勉強ですみません」と破顔一笑したお顔が忘れられない。
 愚にもつかないテレビにのさばる現今のタレントたちにはないジェントリーと、そして決してエラぶらない謙虚なお人柄だった。

真野響子さんはホンモノ美人
 あのころ、NHKで「御宿かわせみ」というドラマが始まったのだ。
 ぼくは師匠の三好十郎氏(滝沢修「炎の人――ゴッホ」などの名作戯曲を書いた劇作家)のかかわりで劇団民芸のファンだった。
 真野響子さんは当時、民芸の所属で、なんとか出演してもらうことになった。
 和服の真野さんがカティサークのロックを味わいながらふっと涙ぐむシーンがある。
 彼女は目薬なんてものを使わず、何度もホンモノの涙をうかべてくれた。
 そのシーンに、北原ミレイさんの「名前で呼んであしたから〜」の歌声。そして名トランペッターの光井のバンちゃん(章夫さん)のサッチモ風のサウンド・ロゴ、「カティーサーク〜」とひと声で黄色いラベルのボトルできまる。
 この光井さんのトランペット、そしてクルーを率いたクラリネットの北村英治さん、故人となられたピアノの瀬良譲さん……と、思い出のえにしの糸はつながる。また次回で。

— posted by 本庄慧一郎 at 10:37 am  

「ニッポンの芸能人」シリーズ14


半世紀・50年という歳月
 本年2005年、「デュークエイセス結成50周年」だそうだ。
 そのはなしを聞いて、当方からコンタクトをとり、リーダーの谷道夫さんと久しぶりにお会いした。
 デュークエイセスという男性4人のヴォーカルが好きで、コピーライター時代、ずいぶん沢山のCMソングを作詞し、彼らに歌ってもらった。
 シャープなジャズピアニストであり、また作曲家としても魅力的なクリエィティブを展開した故八木正生さんがデュークが大好きだった。ぼくはその八木正生さんとのコンビが多かった。
 したがって、ぼくの作詞、八木さんの作曲、そしてデュークのヴォーカルという作品は、高倉健さんが出演した「アサヒビール」をはじめ、ざっと10曲ほどあったはずだ。
 それにしても結成50周年――エライなあ。ということは、ぼくも50年間、ディークのハーモニィを楽しんできたことになるのでアル。

劇団テアトルエコーの熊倉一雄さんも……。
 熊倉一雄さんとのおつきあいもふるい。
「芝居のホンを書かない?」と声をかけられていて、時代小説を書く合い間に舞台脚本をなんとか1本まとめ、熊倉さんにお渡しした。どういう展開になるかいまのところ不明だが、お会いした時に質問した。
「たしか、テアトルエコーの初期、牟田悌三さんや矢島正明さんも一緒の舞台を観たけれど、エコーは創立何年になります?」
 熊倉さん「ウーン」といって指折りかぞえて「あれ…49年…もう50年になるのかな」と呟いた。
 50年というのは、人生の大半である。20歳でなんとか独立独歩、これといった仕事に取組んでも70歳なのだ。
 何があってもおかしくない、といわれる昨今。いつもにこやかに健康で、おのれが思う道を50年歩みつづけるということは、決してたやすいことでない。
 自己PRになるが、かく申す本庄慧一郎も叔父の小沢不二夫の演劇塾や劇作家三好十郎氏の劇団戯曲座。そして民放のラジオ・さらにテレビ。その後のCM・広告業界。またさらに転じて時代小説への転進。もうひとつ欲張っていまは(CMではない)歌の詞への展開。(デュークさんにぜひ歌ってもらいたいモノを目下プレゼン中!)
 表現のフィックス形式は変わっても「日本語」で生業(なりわい)をたててきて50周年である。
 前回も書いたが、先輩の小沢昭一さん、そして熊倉一雄さん。そして谷さんたちデュークの皆さん……またここからもご一緒に仕事できると思うと年甲斐もなくワクワクする。

それにしてもいまの20歳は……。
 今年の「成人式の荒れ模様」というのをニュ−ス番組で見た。例によって「アレは
ごく一部の者のやっていることで――」というコメントがついていたが、それにしても情けない。
 「成人」という自己主張は、あんなことでしか出来ないとはほんとに哀れだなあ。
 たとえば、これから50年後、あの愚行を得意がった連中はどうなっているのか?
 いや、やっとスタートしたばかりの人生、まともにやっていけるのかどうか。
 群れをなした時に狂暴化するというのは、野生のサルと同様だが、人間として生まれて社会に関わって生きていくには、サル同様の頭脳や行動ではとうてい50年はやってはいけない。
 近頃、NHKをふくめてのテレビ業界の劣悪さは目に余るが、そこに寄生する若いタレントの悪ハシャギぶりには、あの成人式におけるサルの群れに共通する思い上がりがある。
 それでなくても、いいトシをした大人たち(政治家・企業トップたち)の金まみれ、もう一つ権力呆けで失墜してゆく、なんともコッケイで哀れな人生三文ドラマをいくつも見せられているけれど、あの成人式のサルのような若者たちの先行きなんて、たぶんもっとヒドイだろうね。
 そういえば、あの評論家の樋口恵子さんと出会ったのも「1953年1月15日の成人の日」がきっかけだったなあ。
 歳月の流れは早いですねぇ、樋口さん。

元コピーライターとしての新造語
 「成人式」を「成塵死期――せいじんしき」なんていかが? つまり、「自分の人間性をチリ・アクタにして、みずから殺してしまう」というイミですけどね。
 ずっと以前、作家の山口瞳さんのサントリーウィスキーのCMコピーを思い出した。
 それは「人間って、哀れだなあ! 人間って、ふしぎだなあ!」
 わざわざ戦争して殺し合わなくても、人間が狂わせた地球がいま、怒りをあらわにしはじめている。そんなこと言いたくないが、あの成人式のサルたちはこれから50年地球人として生きることができないのかも……。

— posted by 本庄慧一郎 at 10:33 am  

「ことば・声・人間・演劇」


朝日新聞05年1月10日「声」欄の投書
「新聞や雑誌は文字が大きくなり、目に優しくなった。だが耳の方にそういう配慮はなさそうだ。
 年をとったせいか、数年前からテレビの早口が気になる。せかせかとしてゆとりが感じられず、意味がすぐには頭に入らない。
 新春に放映された歴史ドラマ「大化改新」でも昨年の韓国ドラマ「冬のソナタ」でもせりふが速く、よく理解できない場面が何カ所もあった。
 ニュースでも、とりわけ若いアナウンサーは早口で私には聞き取りにくい。家内もそう言う。高齢者にも分りやすく、もう少しゆっくり話して頂けないものか。放送局は語り口が相手に伝わりやすいよう心がけてほしい。
 紀宮さまと黒田さんの婚約が内定し、記者会見が年末に行われた。その際のお二人の話しぶりはゆったりとして実に分かりやすかった。お人柄をしのばせ、心温まるものがあった。」
(加藤隆二 神奈川県小田原市 75歳)
 
 現在のテレビの大部分が、ことばを乱暴に粗雑に扱っている。時にはデタラメでさえある。
 ニュースワイドのコメンテーターなる者についてもまた、そのことば遣い以前に、その思考や論理のいいかげんさに呆れることが多い。
 とりわけ、バラエティと称する番組の、馬鹿の一つおぼえのような「ヒナ壇」に並んだ者たちの喋りは、それこそ「悪しき政治家たち」の国民主権を無視するヤカラ同様に、彼らテレビ寄生虫族も視聴者をおいてけぼりにして、ただひたすら自分たちだけで悪ハシャギしている。
 投書の方が言われているように「言語不明」の原因は早口だけだろうか。それは違うと思う。
 早口というならば、かつてロイ・ジェームスというタレントが、江戸弁ふうの歯切れのいい口跡(ものの言い方・俳優などのせりふの言いまわし)で人気があった。長身のハンサムで、DNAにはたしか「トルコ」がまじっていたらしい。
 彼とはずいぶんラジオ番組の構成台本でおつきあいしたが、400字詰め原稿用紙は約1分という量では足らなくて、かなり余計に書くハメになった。
 もうお一人、早口の達人をあげるならやはり黒柳徹子さんである。
 「名ナレーター」としてその名を語りつがれていう城達也さん(かの「ジェットストリーム」の――)とご一緒したTBSラジオの生の2時間番組のCMに(スポンサーは時計のセイコー)黒柳さんが起用されたのだ。
 ぼくがコピーを書いた。何種類か制作した。
 60秒のCMだったが、ぼくが書いたコピーの分量では、時間が余ってしまうのである。
 つまり、ロイと同じように黒柳さんの語り口がスピーディなので「もっとコピーを足してほしい」と言われた。
 つい「もうすこしゆっくり喋ってください」と言ったら、「それじゃあ、黒柳徹子じゃなくなっちゃう」とチャーミングな微笑でニラマレタ。もちろんその場でコピーを書き足した。
 前にも書いたが、城達也という人は、ぜったいアドリブやその場の思いつきで喋らなかった。ロイもアドリブはやらなかった。

フリートークという名の堕落
 かつてのテレビやラジオには、構成台本だがあり、その台本にのっとって出演者は表現した。
 もっとも、浅草などのボードビル系の芸人たちは(たとえばストリップショーの合間にコントを演じていた渥美清をはじめとするコメディアンたち)むしろヤジをとばす客たちに当意即妙にやり返すことを得意になってやった。
 それは劇場という限定された場所でのことだから、お客サービスになり得たのだ。
 一方、演劇ではお客をタネにして笑いを取るのは「客いじり」といってタブーとされている。(近頃、歌舞伎でも、それをやるのダ)
 以前、前進座の時代ものの舞台(ジェ−ムス三木の作)で、夜鷹(ゴザ一枚を適当なところへ敷いて男にからだを売る娼婦)が客席へ下りてきて、「ねぇおひま? あたいと遊ばない?」などとやっていた。「前進座がこんなことやるの?」と大いにシラケタたものだ。
 話をもどそう。
 いまの芸人やテレビゲーノー人のことばが不明瞭なのは、ことばに対して彼らがゴーマンで、浅慮で、いいかげんだからなのである。
 彼らは、ことばを汚し、歪めて、使い捨てにしているのだ。
 ぼくは、ざっと50年、日本語を材料に暮らしてきた。
 ラジオ・テレビの台本や脚本、そしてラジオ・テレビのコマーシャルの企画やコピー、CMソングの作詞など。そして現在の時代小説。いまあらためて舞台の脚本に挑みつつある。いや、CMではない歌の歌詞にも全力投球するつもりでいる。
 もちろん、ことばを大事にする人だけご一緒するのを大前提とする。
 これと思った人に、しっかりと伝わることばとその方法を考え、それを具体化するというのがぼくの本来の仕事なのだから。

ヘタな語り手は「名作」でごまかしている
 読み語りという表現方法がブームである。
 たとえば、幸田弘子さんのような名手もいるが、「語る」というための技や術を学ばない者が、山本周五郎だの宮沢賢治だの樋口一葉だのをとりあげる。
 だが、名作を隠れみのに、そのヘタクソさをごまかして平然としているケースが多い。
 文字を音声化するだけなら、駅のコンピュータ・ボイスもラクにやってのける。
 この4年間、ぼくの書斎に通い詰めたレディがいる。東京二期会のメンバーで、ソプラノ歌手の木山みづほ。ぼくは演劇の出身なので、自作の時代小説をテキストに「読み語り」をけい古してきた。
 オペラの「アリア」を歌うのと、時代小説(エンターテインメント)の読み語りの技は、現在のところうまく共存しているようだ。
 このところ「歌と語り」のライブで好評を得ているらしい。
 歌も語りも、そして喋りも、「ことばの根っこ」をしっかりと理解しようという謙虚さとパッショナブルな表現力によって成り立つのである。
 それにしても……ことばをゴミにしてるヤツは誰だ?

— posted by 本庄慧一郎 at 10:31 am  

「いい男たちのこと」


50年という歳月(敬称は略させていただきます)
 ぼくの仕事としての出発は演劇だった。
 劇作家三好十郎主宰の劇団戯曲座のけい古場が京王線桜上水の宗源寺という寺にあった昭和20年代後半に、いま評論家として活躍する樋口恵子(旧姓柴田)の紹介で出かけた。
 三好十郎は叔父小沢不二夫とすでに親しかったが、三好十郎の作品や評論には当時のぼくは強く魅かれていた。
 新国立劇場の芸術監督栗原民也の肝入りで04年、「浮標――ブイ」と「胎内」という三好作品が上演されて、そのしっかりした舞台造り(演出)に好感をもった。
 そして三好作品を系統的に、また誠意をもって取り組んできた劇団文化座の「をさの音」も観た。その他いくつもの作品を連続上演したのだが、原稿のメ切りに追われていて観られなかったが。
 思えば、文化座の創始者佐々木隆(鈴木光枝の旦那様、佐々木愛のお父上)には、三好十郎の指示で、演出論を拝聴に参上している。

素敵な男たちのこと
 劇団戯曲座では高品格に出会った。
 当時、大映にいた高品格はニックネームが「班長」だった。彼の兵役経験に由来するらしい。
 中野区に哲学堂という公園があり、そばに丸山という町がある。彼はそこで駄菓子屋さんのような小店をやっていた。
 ぼくは何度か高品格という先輩を慕って家を訪ね、三好十郎談義や演劇の話を拝聴している。
 高品格はそのあと、日活映画に移籍、石原裕次郎などのワキ役として存在感をアピ−ルする。
 たしか「全日本フライ級第6位」というプロボクサーとしての経歴を有していた。そのせいで裕次郎とのカラミでは抜群の凄みを見せた。
 その高品格の演技では、和田誠の監督作品「麻雀放浪記」が忘れられない。
 そういえば、イラストレーターの和田誠ともご一緒している。
 合同酒精の「ハチ・ハニーワイン」のポスターのアート・ディレクション(フォトは立木義浩)をお願いした。青山のマンションに参上している。またカネボウのPR映画には、作曲家の八木正生、フォトグラファーの立木義浩という売れっ子お三方に出演してもらった。
 「魅力ある女性について」というテーマで語ってもらったのだ。
 立木「雨の日に美しさがきわだつ女がいいなあ」。和田「モノを食べてるときに、ビューティフルな人がいい」。そして八木「いい女はいつ、何をしていてもいいもんだよ」。立木と和田「それって、八木チャン、ずるいよ」と大笑いになった。(記憶にズレがあるかもしれない……)
 いまぼくは、舞台の脚本を書いていて、和田誠著「ビギン・ザ・ビギン――日本ショウビジネス楽屋口」を再読した。有楽町日劇の創始からそのヒストリー、そして演出家山本紫朗と越路吹雪、その他のコメディアンやダンサーたちのエピソードが頑味できる労作である。

ピアニスト&作曲家八木正生
 和田誠と立木義浩と八木正生は親しかった。
 その八木正生は50代前半で急逝した。
 先日、新宿中村屋4階のラコンテで、デュークエイセスの谷道夫に久々に再会した折に八木正生について語った。
 ジャズピアニストとしての図抜けたテクニックを持っていた八木正生は、ジャズボーカルで文句なしのハーモニィを聴かせるデュークエイセスが大好きだった。
 そのせいで八木正生とのCM音楽コンビ(作詞ぼく、作曲八木正生)でン十曲も作ったが、デュークエイセスとの仕事も多かった。
 八木正生は高倉健にも惚れていて、高倉健の「アサヒビール」のCMでは、ぼくの作詞・作曲八木正生、そしてボーカルはデュークエイセスでイメージソングを作った。
 しかも高倉健は映画「新・網走番外地」での田中邦衛との北海道の露天風呂のシーンで、「おまえがいて、おれがいて、人生にがいかショパイか」と歌ってくれている。
 CM撮影の大泉東映スタジオで、ぼくは直接、健さんから「ホンの御礼のシルシです」という封筒を押しつけられている。(日本音楽著作権協会を通じて頂くことになっていますと固辞したら、そんなこと関係ありませんと言われたのだ)
 八木正生というアーチストのダンディズム……そして高倉健。
 和田誠も立木義浩も……それに高品格。
 いい男たちに出会った。
 それに、小沢昭一、熊倉一雄の〔慈味〕ある個性……いいなあ。

— posted by 本庄慧一郎 at 10:30 am  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
21.1:130:128:0:0::center:0:1::
平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
<< 2005.1 >>
SMTWTFS
      1
23 45678
910 1112131415
1617 1819202122
2324 2526272829
3031      
 
※ ご注意 ※このウェブサイトに掲載されている、すべてのコンテンツの著作権は(有)望田企画室ににあります。
著作権者の許可無く、本サイト内の全てのコンテンツ・著作物について、無断での使用・転載・加工は一切お断りしております。