「ニッポンの芸能人」シリーズ92

気質・体質とは変えられるのか?
 このところ連日、新聞の政治・社会面は、不快な事件と醜聞ばかりで、なんとも肚立だしく、そして情けない。
 その一例が「発掘!あるある大事典」とやらのテレビ番組のデータねつ造問題だ。
 さんざん新聞や週刊誌、はたまた同種同族のテレビ等で取りあげられたので、こまかくは言わない。
 つまり、制作体制に一貫性なく、ポリシーも管理も、また責任の所在もひたすらいいかげんだということだ。
 つまり、ピンハネ丸投げの得手勝手なこのシステムは、建造物の「丸投げ」行為と同質であり、二つ、三つ、さらに四つ……といった無責任丸投げ行為の結果は、劣悪な商品が市場に出るのは当然である。
 ぼくはかつて放送作家、広告のコピーライターとしてウンザリするほど仕事をしたので、放送のテレビや広告の制作現場は熟知している。
 ずばり、いかがわしく、うさん臭かった。
 そこにいる人たちの(全部とは言わないが)かなりの者たちの気質と体質になじめなかったが、とにかく我慢して仕事をした。
 現在も彼らの、いや彼らを雇って利益をあげている企業の気質や体質は変わっていないと断言する。

おれたちに出来ないモノはないね
 大手広告代理店のスタッフは上記のような、というよりナポレオンと同じコトをよく口にしていた。
 でも彼らは一言つけ加える。「だって、どんな注文でも外部の専門家に頼めばいいわけだからね」と。代理店の代理店たるところといえるがね。
 でもこれは「ピンハネ・丸なげ」のことをいっているのである。
 たとえば、スポンサーを迎えての企画制作会議が開催される。
 営業局長以下、営業専任担当スタッフ、マーケティング局、媒体局、制作局等、ぞろぞろざっと30名余り。ぼくら外部のスタッフも末席につらなる。
 2時間ほどの会議は終了し、その結論である企画案をまとめて2週間後に提出することになったが、会議終了後、皆さんはさっさと姿を消し、制作担当者3人(なんとこの中に同業のコピーライターもいる!)が残って「それじゃあ望田さん(ぼくの本名)、コレまとめておいて下さい」と言い残してさっさと去っていくのだった。
 これはまぎれもない「無責任丸投げ」だ。
 こういった中味からっぽで大仰な形式主義・事大主義は、たぶんいまだに横行していると思う。
 番組「発掘!あるある大辞典」なんてスケープゴードのようなもので、現行のほとんどの番組とさしたる相違はあるまい。
 ただし、愚にもつかないバラエティ番組とか、出演者が視聴者を無視しての悪ふざけしているだけのお笑い番組などはとりあえずの「実害」がないだけだ。

結局、人間も、企業も政策も体質は変わらない
 たとえばダイエットで体重を減らすなどという単純なことする思うに任せない。ましてや、気質にかかわる短気を治すとか怠けぐせを正すとか、嘘つきを改めるとか盗癖を断ち切るとか……こんなことすら俗人にはままならない。
 あの不二家と同質同様の企業犯罪のようなケースは山ほどあるが、いったん病み、腐蝕した企業の体質はほんとうに変わるのか。疑問だね。(そういえば、あの不二家では、社員激励会(パーティ・宴会)などで揃ってうたえる楽しい歌を、という注文で数十種類の商品名を織り込んだダジャレ・ソングを作詞した事があったなあ――好評だった!)
 もう一つついでにいえば政党とその周辺で離散集合をくり返すジジイたち――この輩の気質も体質もまるで変わらないね。
 公金を寄ってたかって食い荒らす厚顔無恥もうす穢い金権主義もあいかわらずだ。
 現在の腐りきった政治・社会、また乱れ切った教育行政と福祉・医療行政などなど、その結果の社会不安は人心の荒廃させた。これは「自民党55年体制」がもたらしたとんでもない「負の遺産」ではないのか。
 この「自民党55年体制」の悪しき気質と体質を放置してきた選挙民の無自覚と無責任も、許せない。

— posted by 本庄慧一郎 at 04:43 pm  

「ニッポンの芸能人」シリーズ91

ウソは〔人間〕の始まり

ウソっ臭い嘘、ウソばっかりの社会と政治
 詐欺と偽装とインチキばかりが横行する社会である。
 政治(家)から始まって、各種官庁、地方行政府。企業、メーカー、そして大小の金融業からリフォームなどの中小企業、さらに個人レベルの詐欺や横領など、ウソ八百でベタ塗りの昨今である。
 もともと「ウソ八百」というコトバがウソ仕立てだ。
 とりあえず時代小説作家のハシクレだから「大江戸八百八町」だの「旗本八万騎」、「大阪八百八橋」などオーバーな表現には慣れっこである。
 そういえば中国などには「白髪三千丈」とかいったオーバー表現は山ほどあるが、だいたいオーバーな表現はウソの始まりだね。

ウソつきは〔人間〕の始まり
 このところまた、アベ内閣の現役閣僚をはじめ、現役議員、そして品川区(その他イロイロの)地方公務員らの公費にかかわる不正濫用疑惑(俗に公金ドロボーという!)が続発している。
 内容は使用料タダの議員宿舎に妾(のような者)と同棲したり、自分の家を〔事務所〕として届けてたっぷりの家賃を公費として請求したり、政務調査費で飲み食いやカラオケにうつつをぬかし、かと思えば公務の名をかりた宴会で、お接待係の女性にチカン行為をしたりと、まあ、どれもこれも、食いけとウソと横暴ばっかり。
 つくづく思う。「人間って哀れだなあ。人間って哀しいねぇ」

ぼくの資料棚で最近のさばっている本たち
 ぼくの現在の棲み家の風景はヘタな古本屋と似たようなものだ。
 書斎はもちろん、天井までの本棚が三方を囲んでいる。そのほか二つの部屋も本棚ぎっしり。2階への階段は片側は本ダナ。床にも本、壁ぎわも本。
 ぼくが死んだら、古本屋が開業できるゾ、と口走ったりする。
 放送作家・コピーライター時代の蔵書は一部を除いてほとんど江戸時代の資料と入れ替わった。
 昨年末のテアトル・エコー公演「大都映画撮影所物語」の好評につい図にのって、目下、時代小説執筆と平行して舞台のコメディをと意欲している。
 10企画ほどの資料箱には関係資料本をバンバン入れておくが、このところ目立って多いのが〔詐欺〕関係の本。  いわく「世界のペテンと詐欺の大百科」「詐欺師入門/騙しの天才たち」「人をその気にさせる話術」「悪知恵マニュアル」「悪徳商法/あなたはもう騙されている」「詐欺とパクリの裏手口」「詐欺師の手口90」「詐欺師のすべて」「怪しいお仕事」「騙す人ダマされる人」「平成の裏仕事師列伝」……キリがないのです。
 詐欺師のコメディはいくらもあるが、これで、ヨーシ、決定版を書いてやるゾ、なのデス。

ひとつのウソをつくと新しい20のウソを考えなければならない
 それにしても、いまのテレビドラマのほとんどが、あまりにもウソっ臭くて、どうにもシラケるね。
 もともと舞台の戯曲も映画のシナリオも、小説もフィクション。ウソの素材をどうほんとうらしく見せるか、読ませるかが作り手たちの技だが、まあ、いまのテレビの、その軽々しくアサハカな作りようといったら……。
 とりわけ、民放テレビなんてタダだからどうでもいいが、カネを巻き上げるのにキュウキュウとしているNHKのモノだって(ドラマはドラマとして)番組全体では見なくてはのちのち困るというほどのものはない。
 あの不祥事とスキャンダル続発のダンタイの本質にフタをしておいて〔強権発動〕するとは、これは「押し売り詐欺」ではないのかね。
 NHKの番組に代る情報ツールやエンターテインメントなどいくらでもあるのだよ。  それにしてもウソどっぷりの社会とそこにうごめく人たち――ぼくはフィクションというウソをタネにした仕事をして半世紀、カツカツだが生活をしたきたが、現実では努力してウソをつかないようにしている。
 だって「ひとつのウソをつくと20のウソを――」なんて計算したら、とてもそんな才能ないことに気付くもの。とにかく気が小さいから、そんな大胆なことしないね。

   ――――――――――――――――――

 いまの社会、ウソを取り除いたら、なにが残るのかね。

— posted by 本庄慧一郎 at 05:08 pm  

「ニッポンの芸能人」シリーズ90

畏敬する先輩たちのご好意に胸熱くする
 今回のテアトル・エコーの公演「大都映画撮影所物語」からうれしいエピソードがいくつも生まれた(生まれている)。
 まず演劇評論家菅井幸雄さんが書いて下さったコラム(85回に転載しています)と、そして小沢昭一さんのお葉書「前略 いま帰ってきました。いいお芝居でした。望田さんと作品とエコーは、性が合いますねえ。ぜひ続けて下さるといいなァ! ウレシイ一日でした。ありがとうございました。再拝」(注、望田は本庄慧一郎の本名)。さらに評論家粕谷一希さんのお手紙の過分なおほめの言葉――「(略)時代考証がたしかで、しかも時代批判が安直でなく、実感があること。すべて脚本の面白さです。(中略)近々、本庄さんを囲んで、祝賀会・合評会を開きましょう」とある。
 もちろん、ずしりとした大ぜいの皆さんのご好意にあふれたアンケートのメッセージもぼくを嬉しがらせたが、とりわけ上記お三方のコラム・お葉書・お手紙は〔永久保存〕のお宝になった。
 昨日(1月11日)、粕谷さんからじきじきのお電話があって、来たる2月1日(木)に会を催して下さるとのこと。
 このトシになって雀躍(こおどり――という熟語を自分の気持を表現するために使うなんてシアワセ過ぎ!)するような思いである。
 ちょっと涙腺にユルミが出たせいもあるのかもしれないが、ついジーンとして目尻を拭う。
 ちなみに、粕谷一希さんからご恵贈いただいた最新刊の「作家が死ぬと時代が変わる――戦後日本と雑誌ジャーナリズム」(日本経済新聞社)の〔著者紹介〕の文章を転載させていただきます。



粕谷一希(かすや・かずき)
1930年東京生まれ。東京大学法学部卒後、55年中央公論社入社。67年より「中央公論」編集長を勤め「歴史と人物」「経営問題」編集長も歴任。78年同社退社後、評論活動を開始する。86年東京都文化振興会発行の季刊誌「東京人」創刊とともに編集長就任。「外交フォーラム」などの創刊も手がける。87年都市出版株式会社を設立し代表取締役社長に就任。現在、同社相談役と英・中・スペイン3カ国語の海外向け月刊誌「ジャパンジャーナル」の社長兼編集長を務めながら、評論家として執筆、講演活動を行う。主な著書に『鎮魂 吉田満とその時代』『反時代的思索者』『河合栄治郎』『戦後思想』など。




●論外
 楽しい気持に水を差す事件が続発している。社会というフィールドの事件や犯罪はおくとして、しきりと「増税時代」がいわれる昨今、「公費濫用」「公費横領」事件も次々と発覚している。
 東京新聞1月12日(金)の第一面「自民閣僚・三役7氏・事務所費6億8000万円」の見出しと不透明を指摘する記事をはじめ、政務調査費と称する公金も飲食やカラオケなどの遊興費に使っていることなど、この種の薄汚いスキャンダルは続々と暴かれている。
 腐爛したゲテモノを「美しい国へ」という名のいかがわしい膏薬(公約!)で覆い隠そうとする悪質な輩を「支持している選挙民」もほんとうに許せないね。

— posted by 本庄慧一郎 at 02:37 pm  

「ニッポンの芸能人」シリーズ89

「去年今年貫く棒の如きもの 虚子」
 ラジオ・テレビ、そしてCM ・広告の仕事をしている時から「年末・年始」という季節がキライだった。個人としての感覚は虚子の句そのものだったが、仕事のスケジュールがやたら「多忙」を強いてきた。
 正月に入って、やっとひと息ついて、家の目の前にある神社の、それこそ誰もいない境内で幼なかった子どもたちと紙ヒコーキを飛ばして遊んだ記憶がある。
 ときたま参詣する人が現れて社殿に向かって鳴らす鈴の音とかしわ手の音が冴えざえと聞こえた。
 いまその神社には、大みそかからずっと避難民のような群衆が詰めかける。
 からだをちぢこませた参詣を持つ人たちが何時間か立ちつくしている。
 だからふだんの静かな神社に親しんでるぼくは、この時期、とことん近寄らない。
 それにしても、正月だけ、発作的・熱狂的にやってくるような者に、果たして神仏のご利益などあるのかね。
 どこやらのソーリ大臣のあざとい行動も噴飯ものだけど、やっぱり日常の行動・思考などがハズレている人間に真の恩恵など授かるわかがない――はずだと思うよ。

空港・列車・高速道路の混雑とテレビの騒音
 すべてがキライである。しかし、テレビの騒音はスイッチOFFで拒むことができる。
 悪ふざけとたんなるおチャラケを正月特番として平然とタレ流しているテレビ制作者たちにも肚が立つ。
 そのアホな奴らに媚びたお笑い芸人たちの「ヨッパライの冗談ごっこ」程度のシロモノを「お笑いブーム」とはやし立てる愚かさには元マスコミ人としてはただウンザリするばかりだ。
 それと大量のCM。元ギョーカイ人としては「番組とCM枠の規制」(以前は番組時間10%以内だったが、現在は?)などはまるで無視されていると思わざるを得ない。
 ドラマや劇映画などのコマ切れは、視聴者の感性をイビツにしているね。
 とりわけ、あの紅白歌合戦など(最近はまったく見たこともないが)の質ときたら、怒る気も失せる。
 続発する低俗なスキャンダルや横領事件をタナにあげての「視聴料支払い保留の者」への強権発動など、その思い上がりぶりなど許せない。その以前にやるべきことはあるはずだ。
 ぼくは地上波デジタル時代とやらのための新しいキカイについては1と3のチャンネルを使用不可能にして、NHKの番組を受信拒否したいと思っている。
 不必要な商品を強制的に送りつけて代金を請求する行為(これはいま流行の××詐欺に等しいのでないかね)は許されるのか、識者各位のご意見をお聞きしたい。

年末年始の「本庄バージョン」
 エラソーに書くつもりないが(そう思うわれても別にかまわないが)、年末は千葉県行徳の図書館に出かけての資料しらべが楽しかった。
 そして行徳・浦安の関連図書をざっと10冊ほど、娘のアシスト(パソコン検索等)で入手した。
 そのほか「江戸前」に関する本はのべで十数冊。ついでに大判の「日本料理」全八冊、そのほかすしの本、さらにドッコイショ! というかけ声を必要するほどに重い「江戸のくらし・風俗大事典」など、年末と年始にかけての「本漁り」で大量にして大漁の収穫を得た。
 テアトルエコーの公演のフォローで遅れたので、年末も年始も原稿執筆の机に向かっている。
 1月10日頃からかかる予定のD書房さんからの発注の小説を書くのが楽しみだ。

・追記
 でも昨日(4日)は、映画「早咲きの花」をワイフと観に銀座ル・テアトルに出かけた。
 年末のパーティで親しくなった山口県周南市の美しいレディ小林優子さんに「監督の菅原さんを応援しています」とご案内のチケットを頂いたのだ。
 戦争中の子どもたちの暮らしとその苛酷な運命の結末を現在という視点から描いている。(浅岡ルリ子主演)
 監督の菅原浩志氏と熱い握手を交わした。
 「ALWAYS 三丁目の夕日」と共に、快い共感を得た佳作である。

— posted by 本庄慧一郎 at 05:28 pm  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
21.1:130:128:0:0::center:0:1::
平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
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