「社会&芸能・つれづれ愚差」第49回(通算159回)

08年きさらぎ2月という月
 2月は寒い。衣(きぬ)を更に着る月――「きぬさらにきる」がつづまって「きさらぎ」になった。
 地球温暖化は地球破壊と同義語。そして、政治・社会はひたすらお寒いかぎり。
 しかし、個人的にはこの08年2月は、東京新聞サンの依頼で「わが街わが友」(土日と特別日をのぞく15回)を掲載した意味のあった月になりマシタ。
 同時に、この2月は、現在の日本の質の劣悪さの見本市のような事件が続出した月でもありマシタ。


道路特定財源問題
 国費・税金の浪費・濫費を小理屈・屁理屈で強引に合理化しようとする者たちの跳りょう――。

在日アメリカ軍の存在
 婦女暴行事件の続発と基地問題。同胞の痛みや苦しみなどは一切関知しないエゴが大道を罷り通るぜ、ニッポン。

有毒ギョーザ事件
 食糧自給率40%を下回るという現状と裏表の問題。あきらかに、農業政策の失敗がそこにある。農家を苦しめる失政の責任者をチェックし、譴責しない怠惰な選挙民たち――。

イージス艦事件
 ゴーマンと怠惰と矛盾。
 自己管理・自己責任が何であるかの弁えのない者たちのエラソーな顔と愚考と、ぼう大な国費のムダ使いと――。

新銀行東京の乱脈経営問題
 別名「イシハラ銀行」の醜聞。その一方で、オリンピック誘致に執心するなど、あきらかな分裂症異状――。
 中小企業のためをうたい文句にしているが、高金利のためにかんじんの中小企業経営者はソッポを向いている(5割にも満たない)という。都税の浪費と濫費。

三浦和義氏と再逮捕
 日本の法律に〔時効〕はあってもアメリカのそれには〔時効〕がないというが、つましくまじめに生きている者にはどっちみちそんなコトは無関係だものね。
 このHPでも何度か書いたけれど、「人は一つ嘘をつくと、そのためには新しい嘘を二十考えねばならない。そしてその二十の嘘のために……」。
 人生から嘘を除いたらパンツしか残らないなんてネ。

議員たちのお手盛り報酬アップのエゴ
 西東京市の議員たちが財政ピンチを無視して報酬アップする。
 市民たちが抗議行動に出て、市長シドロモドロの醜態をさらす。
 当練馬区も同様の問題が発生している。
 区政については、以前のイワナミ区長時代からかなり問題があった。
 いま、区としてやるべきことは山積している。
 そして「区議の報酬問題が持ち上がっている練馬区で、今度は区民プール問題で“偽装落札”か?」(東京新聞2月29日付)
 冗談じゃないよ、まったく!
 「公僕」――公衆に奉仕する者。つまり公務員のことだぜ、おじさんたちよ。
 でも、そういうハレンチ漢を選んだ区民がいるということに……ああウンザリする。

追伸
 親が子を殺し、子が親を殺す。夫が妻を殺し、妻が夫を殺す。または家族内での複数殺人……と、どうしようもない惨状。人間の畜生化!
 衣を重ね着しても、寒いココロは寒いネ。

— posted by 本庄慧一郎 at 11:29 am  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第48回(通算158回)

「反省の日」という日のこと
 ちょっと以前、〔反省ザル〕という猿が人気を集めた。
 台(テーブル)に手をついて、じっとうなだれる猿の姿がいじましく可愛いかった。
 猿廻しのおニイさんのアイディアと特訓のタマモノだった。
 このHPの文章を書いている08年2月22日(金)は、なんと(!)全国米軍こぞっての〔反省の日〕だと新聞(朝日『天声人語』)にあった。
 フーン! へえ! である。「反省の日」なんていう日が、特別にあるのがまずヘンだし、おかしいんじゃない?
 凡俗たる者(自分のこと)にとって反省というココロの営みは、空気や水やメシのような必需アイテムであった……。
 つまり、1年365日、もっといえば毎日ずうっと反省とはネンゴロにつきあってきた思いがアル。
 いや、本庄慧一郎流に言うならば、なんとか、あとでどっとヒヤ汗をかくようなことや、ひたすらオロオロとして悔い悩むようなコトをしまいと、それこそウジウジと思い患ったものでアル。
 要するに、タマに「反省の日」なんぞという特定日を設けて、それらしくすることで問題は解決しないというコトだ。
 それこそ、「反省の日」なんて、〔偽装〕〔まやかし〕のサル芝居の日にほかならないネ。

「ちょうどいい」という生き方
 東京新聞サンの依頼で、この2月6日から土・日と特別日をのぞく15回「わが街わが友」を連載してもらっている。
 本日2月20日(金)で10回目である。
 連載紙をあらためて読むと、ほんとに言うか、まったくと言うか、さまざまな人に出会ってきた。文中にも書いたのだが、かく申すワタシには「姓をよび捨てにしたり、チャン付けでよぶような親しい友人はあまりいあない」のデス。
 いっとき、テレビやCFの仕事をしていた時は100枚の名刺が1ヶ月でなくなった。現在でもパーティなどでは20枚〜30枚の名刺が消える。
 マスコミの仕事を整理して〔物書き業〕に絞った時、大型の名刺入れの箱10個分ほどの名刺を廃棄させてもらった。
 ずんぶんイロイロな人と出会って、サヨナラをしたなあ。
 ずっとJust meetというコトバを忘れずにやってきた。
 最近の日本語で「いいかげん」といえば、現在の政治・社会を象徴するキイワードになるが、ほんらいは「良い加減」で「ちょうどいい」である。
 Just meet――野球でいえばホームラン。お風呂で言えば♪いい湯だなアハハン〜でしょうね。
 実人生では、「急がず、慌てず、無理をせず」なんてコトかな。

それにしても08年2月という月は……
 有毒ギョーザとイージス艦の衝突事故と道路財源問題と、天下り族にからむ公金濫費と横領などなどと、それに基地問題とアメリカ兵たちの……日本の現状はガタガタです。
 このHPでもエラソーに書いてきましたけど、あなたは、その諸悪の根源はどこにあると思いますか?
 「改革」「改革」と連呼されていながら、まじめに働き、着実に暮らそうと努める多くの人たちをとことんないがしろにして来た政治を、あなたはどう思いますか?



「もっとも嫌らしいウソは、もっとも真実に近いウソだ」
――――アンドレ・ジィド




「反省の日」なんてことをヌケヌケ口にする者は、反省などすることはない」
――――毎日反省している本庄慧一郎




「人の痛みや苦しみ、哀しみといったことをまったく理解も想像も出来ない者たちが政治を牛耳っている」
――――日本がどんどん劣化するのでオロオロしている本庄慧一郎




「テレビというメディアを利用して出て来た者は、丸ごと信用しない」
――――テレビOBの本庄慧一郎




「この国はずる賢いゼーキン泥棒役人の天国だ」
――――心ある役人たちよ声をあげよと望む本庄慧一郎


— posted by 本庄慧一郎 at 11:33 am  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第47回(通算157回)

東京新聞エッセイ15回連載中
 愛読している東京新聞からの依頼で、「わが街わが友」というリレー・エッセイを連載中デス。(08年2月6日(水)より土日をのぞく15回でこの文章を書いている2月15日(金)現在で7回目)
 各界でご活躍の著名な方々のこのシリーズ、ずっと興味ぶかく拝読してきたが、とりたてて〔有名でもないボク〕にとってはソモソモ、〔自分そのものについて書く〕ということは初体験(!)であった。
 まず、三人の子どもたちから「お父さんの小さい時のこと、初めて知った」と言われましたからネ。
 そして「読んでます」という思いがけない人たちのいくつものリアクション。
 かつてラジオのリクエスト番組の仕事をしている時、1枚のハガキは2000人のリスナーを代表していると思え――と言われたのを思い出した。
 ぼくのエッセイを読むために東京新聞の購読を始めた人たちも大ぜいいて……。うれしいエピソードいろいろ。
 いずれ、望田市郎→本庄一郎→本庄慧一郎の来し方をさらにこまかく書きまとめたいと意欲している昨今。
 東京新聞の皆さんに、謝々!

墓参りというルンルン・タイム
 このHPでも何度か書いたが、ぼくは趣味がありません。
 つまり、本を買い求めること、本を読むこと。映画・演劇をせっせと観ること、音楽を聴くこと……みんな仕事につながるからデス。
 実は〔気ままなさまよい歩き〕も大好きなのですが、これもやっぱり小説書きにとっては必修課目なのデスねぇ。
 いまは時代小説で江戸時代を素材にしているけれど、現在の街のたたずまいやそこに暮らす人々の息吹を起点にして過去に遡るというイトナミは、これはまたボクの必修課目なのです。
 もちろん、両の足をナヨナヨさせないために――もあります。
 それで、仕事の区切り(350枚ほどの文庫一冊分を書き上げた時とか、著者校正の赤ペン作業を終了した時とか)にはさっさと出かけるのデス。といってもパリとかニューヨークなんて所ではなく、もっぱら「行きあたりバッタリ」のフリー・ウォーク。
 わりと好きなコースは墓参りコース。
 あの「トトロの森」のモデル地に近い、いわゆる〔公園墓地〕。
 たとえば、ついこの間(2月11日)の寒さはきついがよく晴れた日には、ワイフと二人のルンルン墓参りは、ヨカッタ!

ふと「千の風になって」を口ずさむが――
 私はそこにいません……。あのコトバです。
 そう、ぼくも「死後」については「風になって」と思っています。
 でもね、とにかく、血を分け合った人たちの、そしてかけがえのない人間としての縁(えにし)で結ばれた人たちの遺骨が安置されている場所には、ほかの俗っぽい場所にはない霊気のようなものを感じるのです。(断っておきますが、ヘンな宗教心は皆無です)
 墓石を洗い清め、献花し、線香をくゆらす。そして、現在の自分とこれからの自分をしみじみとかえりみるのです。
 やたらセカセカと忙しがっている〔都会人〕をホンのしばし捨てるのです。
 ご先祖さまをダシにして、心の深呼吸――といった趣向ですなぁ。
 ポケットウィスキーをチクとやってね、これ、とってもいい気分!
 わが望田家の墓苑には、ミュージシャンの尾崎豊君の墓、マンガ家滝田ゆうさんの墓、画家いわさきちひろさんの墓などもあるので、毎回お三人に、心の内で「こんにちは」とあいさつをしたりするのです。
 帰途はきまって、所沢の街の居酒屋で昼食。ナンデモアリのこの店で、昼間からワイフ相手に好きなサケを呑んでね、これがいいね。
 でも、昼間からユーレイが出そうに荒れているお墓がずいぶんあるなぁ。お墓というのは子孫たちの気持や心の質がそっくり現れてしまうのデス。
 バチがあたるとは思えないけど、結局、いいことないのではないかと、つい心配しとるのデス。
 それにしても、ご先祖様の墓前に素直に立って、現在の自分を見直すとか考えるというのは、心とからだの健康のためには絶対の必修科目ですぞ。
 そして昨日、2月14日。アホバカマスコミはバレンタイン・チョコがどうのこうのと姦しいけれど、こちとら夫婦は、吉祥寺経由の深大寺詣で心の洗たくをしました。
 深大寺そば(そのタイトルを信じている!)と、香ばしいぬれせんべいとおやきを肴にカップ酒でホロホロ酔ってね。
 ヘン! 何がコース5万円の三ツ星レストランだい!
 そう、〔成り上がり〕にも〔成り下がり〕にもなりたくないなあ。

— posted by 本庄慧一郎 at 11:53 am  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第46回(通算156回)

「千の風になって」の新井満さん
 テレビのある音楽番組で、新井満さんが、「千の風になって」の自作の歌詞(日本語詞)を朗読するのを聴いた。
 いや、前半を朗読して、後半を歌った。
 とてもよかった。とりわけその〔語り〕は心にしみた。
 秋川雅史さんの歌ももちろんGoodである。
 ぼくの二十数年来の友人である渡辺洋さん主催の異業種交流のパーティで(もう二十数年も続いている)、秋川さんが歌ったのをじかに聴いている。NHKの「紅白歌合戦」出演以前である。
 近頃の若い歌い手のだらしのない歌唱(日本語を外国語のようにくずして歌う)とは異なる彼の唱法とマナーに好感をもった。
 でも、新井満さんの朗読には、彼の歌唱とは別の説得力と魅力が横溢していた。

新井満さんとの思い出
 ぼくが本名の望田市郎で広告のコピーライターをやっていた時代に同業の新井満さんと何度かお会いしている。
 昭和51(1976)年頃、ぼくが日本語詞を書いたイタリアの歌曲「チンチン・ポンポン」が発売元のキングレコードからヒット賞をもらった。
 その席上で、新井満さんと隣り合わせた。
「モチダさんは何で?」と彼。
「あの…『チンチン・ポンポン』で…。新井さんは?」
「ぼくは『ワインカラーのときめき』で」と彼は答えた。
 たしか、作詞・作曲・歌が新井満さんで、カッコよかった。
 その後の彼は芥川賞を受賞なさった。これもカッコよかった。
 芥川賞とは関係ないが、ぼくも時代物(エンターテインメント)小説を書き始めた。(文庫書き下ろしは、50冊に向けて作業中)

100万枚突破のCDのカップリングは……
「千の風になって」の大ヒットに拍手した。
 もうひとつ、この曲のカップリングがぼくにはうれしかった。
 美空ひばりの「リンゴ追分」なのである。
 ぼくの叔父であり、また物書きとしての師でもあった劇作・脚本家の故小沢不二夫作詞・米山正夫作曲のあの歌だ。
 このCDを手にした時(前出の渡辺洋さんからプレゼントされたのだ)に即、「このセンスはいいなあ」と感心した。
 そして当然、秋川雅史さんの「リンゴ追分」もGoodだった。

ソプラノ歌手木山みづほさんのコンサートで……
 秋川雅史さんとご同業の木山みづほさん(ソプラノ/二期会所属)とはそろそろ10年なるおつきあいである。
 木山みづほさんは、コンサートや発表会でのレパートリー曲の歌詞(日本語の歌曲を大事に歌っている)をまず朗読するのである。そのけい古のためにぼくの所に通ってきた――。
 さらに、ぼくの小説(時代物・江戸人情物)の“読み語り”をずっと研修してきた。
 ぼくは、本庄慧一郎流でコーチしてきた。
 その方法論は、演劇の基礎訓練や、ラジオ・テレビの〔音声化される言葉〕のためのノウ・ハウの援用である。
 近頃の(とつい口にするトシになった)タレントたちのおざなりの、行きあたりバッタリのしゃべりとはまるで異なるチカラを木山みづほさんは身につけた――と思っている。
 1時間、いや1時間半も一人で、五役六役も演じ分ける独演でも、さすがパワーが落ちない。同時に、江戸弁っぽい男役も演じるのダ。
 そういえば、「木山みづほソロ・コンサート」のアンコールの場面で、ぼくは乞われるままに「リンゴ追分」を歌ったことがある。
 ピアノは園田容子さん。カラオケなどの場では、あの「せりふ」までもヌケヌケとやるぼくだが、この日はさすがにプロの前でということもあって、アガって、トチった――。

原稿のあるものを、しっかり音声化すること
 新井満さんの自作詞朗読のことに話をもどしマス。
 このところ、政治家たちもふくめて舌禍・失言による問題が続発している。
 そして、ラジオ・テレビなどのマスコミでのタレントや芸能人のコトバの劣悪化……これはもう救い難い。
 2年半ほど前、入院生活を余儀なくされ、ついでに久しぶりにラジオをじっくり聴いた。ラジオ・テレビはぼくの出身母胎であるのダ。
 同期の永六輔さんや先輩の小沢昭一さんの番組など〔ごく一部の方々〕の番組は別格として、深夜の若いタレントの番組は……ありゃ、何だ? ですね。
 今回、倖田來来という歌い手の「羊水は腐る」といった舌禍事件が問題化しているが、食品の偽装事件と同様、あれは〔氷山の一角〕といえるね。
 深夜番組は〔若者たちの解放区〕なんていうが、あれは〔コトバの暴走族〕デス。
 ジャズにアドリブ奏法というのがあるが、あれはデタラメ奏法ではない。音楽を楽典的に、また担当楽器の奏法等をきちんとマスターしたプレイヤーのみが参加できるものですよね。
 いま、跳りょうバッコするテレビ・ラジオの〔勝手なしゃべり〕は言語表現に対して全く無知な者たちの暴走でしかない。(だから、暴言・妄言・失言はあって当然! そして局のスタッフたちのナアナア体質と……ああ!)とお思いになりませんか新井満さん?

— posted by 本庄慧一郎 at 12:00 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第45回(通算155回)

「明日があるさ」というヒットソングがあった
 株価に一喜一憂、キリキリ舞いする連中のテーマソングではない。ご存じ坂本九のヒットソングである。
 かく申すワタクシ、株などはもちろん、ギャンブルはまるでダメ男です。
 ケイリン・ケイバまるでダメ。カード・マージャンこれもダメ。さらにゴルフなどまるで興味なし。
 ずっとマスコミ・ゲーノー界で暮らしてきたのに……こういうツキアイとはきっぱり関係なかった〔変種〕デス。
 株価の乱高下はともかく、それにしても政治及び政治家どもの乱調はヒドイを通り越してデタラメだね。
 思えば、選挙のつど「明日があるさ」と胸中で歌ってきたのだ。ちっともそれらしい〔明日〕なんか来ないね。

「国民の生活を第一に考える政治」――?
 ♪いまさら、何を言ってんのさ〜 というド演歌もあった。
 あのソーリ大臣の施政方針演説てえのはまったくウツロだったぜ。
 現在の国会は「ガソリン国会」だと。
 いわゆる〔道路族〕なる寄生政事屋たちのインチキは次々と暴かれているし、〔天下り族〕という連中の厚顔鉄皮――鉄仮面ぶりにもウンザリ。あの種のヤカラには「カエルの面にションベン」で、たじろぐことも怯むこともない。
 犬でも猫でも、いやその道の専門家に言わせると、馬やブタでも羞恥心をもっていると言うがな、もし。
 〔天下り役人〕という名のハレンチ人種は、ありゃ何だ?
 〔ハレンチ人種〕という呼び方をこの際、〔ハレンチ珍獣〕と変更したい。

いまはやりの〔江戸〕ですけどね……
 近頃のはやりのひとつ〔江戸〕。
 時代小説書きのハジッコで生活している小生としては、それはそれでありがたいことだが……。
 ま、礼儀とか、しきりにとか、エコロジーとかとか。確かに学ぶべきことは多い。けれどです、徳川幕府の政治姿勢は、ありゃダメです。
 まず「百姓は生かさず殺さず」から始まり、すべて権力者横暴のワダチに庶民は蹂躙(じゅうりん)されっ放しだったのでアル。
 徳川将軍家は、権力保持にひたすら汲々としており大名や藩主たちが財力を貯え、謀反をたくらむ、または反旗をひるがえすことを恐れて、参勤交代をはじめ、〔公共事業〕にかこつけて費用を負担させて、彼らのふところを揺さぶった。
 にもかかわらず、大名だのトノサマなどという輩は、あいかわらずエテガッテなことをして金を浪費する。そこできまって農民の年貢米の量をガンガン増やした。つまり〔増税〕ですね。
 そんな暴政・暴挙に抗議して「民の願いよ、官に届け!」という農民たちの抗議行動が頻発した。
 資料の「百姓一揆の年次的研究」(青木虹二著/新生社)などなどを調べると、その件数たるや……ぼう大である。
 つまり、江戸時代を語るとき、この格差(差別)社会の理不尽を抜きにしては成立しないと考えるのデス。
 しかし、ぎりぎり切迫した農民たちの抗議行動の大部分は〔主謀者の死罪〕と家族親類一族への厳罰と処分で〔勝訴〕する例はほとんどなかったのだ。

公金を無駄遣いしたあげく増税するという構図
 いま、諸物価高騰の嵐が吹き荒れている。
 しかも、国の大赤字財政が改善される気配もない。
 税金の食い荒らしはますますエスカレートして、あげく増税である。
 徳川政権の時代と現在とちっとも変わっていないのデス。
 いや、むしろ、権力者及びその関係者たちの隠蔽工作は一層巧妙化していて、食い荒らす公金の額は巨大化するばかり――。

07年「偽」――08年「毒」? それとも「殺』?
 あいかわらず戦争好きというか、戦争商人たちの暗躍は目に余る。
 07年を象徴する文字が「偽」だったが、さて08年は? 「毒」ですか、それとも「殺」ですか?
 それにしても、殺人事件や大量死につながる事故が多い。
 「明日があるさ」という希望や可能性への期待を喪失した人間たちは、どこへ行くのか。

— posted by 本庄慧一郎 at 01:33 pm  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
21.1:130:128:0:0::center:0:1::
平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
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