大橋巨泉さんのこと。
●2016年7月12日。大橋巨泉さんが亡くなられた。
永六輔さんに続いての「同期の桜」ともいうべき人の逝去である。
永さんともども、民放ラジオ、テレビで活躍された。
●彼は、民放テレビの番組司会者として人気を博した――。
新聞の訃報欄記事は書いていた。
その前段階ともいうべき時期から、この本庄はすでに永六輔や大橋巨泉、さらに前田武彦という諸氏と毎週、同じスポンサーの別の番組でいつも同じ場所にいた。
●彼らが「出演していた」のはラジオ日本(当時ラジオ関東)というラジオ局の『昨日のつづき』という、フリートークのオビ番組だった。
紅一点として富田恵子さん(草笛光子さんの妹)が才気煥発ブリを発揮していた。
●1959(昭和34)年スタートの番組で、前々回(第478回通算590回

●この『昨日のつづき』と本庄が担当した『おはよう参ちゃんですよ』(TV映画『名犬リンチンチン』で主役の坊やの声を女優で声優の北里深雪さんが演じた、オビのコント番組)で、TBSの朝の放送だった。
この二つの番組のスポンサーが、参天製薬で、その担当部長の石田さんは、インテリで、寛容で、文句なしのお人柄だった。さらに両番組のディレクターはS氏で――気持ちのいい仕事だった。
●したがって『昨日のつづき』の録音現場をちょくちょくのぞいた――構成台本なしのアドリブというのは、メンバーの特質によるので、当時としてはユニークだった。永六輔、前田武彦、そして大橋巨泉の三人は、やがてラジオ、テレビの「出演者」として、表舞台へ出ていった。
それぞれが、テレビタレントとして有名になった――。
●民放ラジオ・テレビ時代の先駆けとなったこのお三方が逝った。
出発点はさして変わらなかったが、小生は彼らとは異なるコースを辿った。
●もちろん、生まれも育ちも、その後の「仕事場――マスコミ業界」も、彼らとは「微妙に異なるフィールド」 を歩んできた。
巨泉氏が『11PM』などで喧伝したゴルフ、マージャン、競馬などなどとは本庄はほとんど関わらなかったのも――正直「業界の人」と「本番の仕事以外」でヤリトリするのがイヤだったからだ。
●もちろん、テレビ、マスコミに関わる仕事(とりわけTVCM制作など)では、大手広告代理店スタッフやクライアント担当スタッフなどとの小めんどうで手間ヒマのかかる作業は、実に要領よくノーリツ的にこなしたが。
●それと――近頃もしきりに感じるのだが、ラジオ、テレビなどのマスメディアの表舞台には、なにやら「人間の心身の目に見えぬ部分をやがて損ねるモノ」があるのではと危惧してきたのだ。
「テレビマスコミ業界」という名の「磁場」には、つまるところ人間の心身に好ましからざる影響を及ぼす何かがあるのでは――と、密かに懸念しているのダ。
●前回のブログ更新日(原則週1回更新というルール)は本庄のバースデーだった。
毎年おとずれるこの日を、今回から――
として有意義に迎えたいと思っている。
●それにしても――
「季候のいい時期の太陽を追い求めるようにカナダ、オーストラリア、ニュージランド、日本を1年で迎える「ひまわり生活」を続け、趣味を楽しんだ」(朝日新聞2016年7月20日)という大橋巨泉さん――本庄としては「へえ!」と目を丸くして居すくむばかりですねぇ。
当方、ギャンブルなど一切不得手。社交性ゼロですけど、アチラへ行ったら……よろしくご指導のほどを、巨泉さん。
改めて、皆様のご冥福をお祈りいたします。