あらめておのれの履歴をふり返ってみると、半世紀あまり一貫して日本語を素材にした仕事(ラジオ・テレビ・構成台本/舞台脚本/TVCMプロデユース・企画・COPY/時代小説・現代小説/五七五・評論集・エッセイ等)をしてきた。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
●執筆トリオ 本庄慧一郎/みさき けい/深実一露
師として仰ぐ劇作家三好十郎氏。
物書き業として生活してきて半世紀以上が過ぎた。
母親のきょうだいに劇作家小沢不二夫がいた。
小生は、敗戦時(昭和二十年/1945)は、中学1年で13歳。
特攻隊になって死ぬ気でいた少年は、その叔父を慕って劇作家をめざした。
その結果、上記のような履歴になったが――。
その叔父小沢不二夫は三好十郎氏と親交があって、この二人を師として演劇を学んだ。
お二人とも若くして逝った。
三好十郎氏は56歳。(1902年〜1958年)
小沢不二夫は54歳。(1912年〜1966年)
故永六輔氏をはじめ、戦後のテレビ・ラジオ業界には「一団となって」仕事をしてきた人々(青島幸男、阿久 悠、井上ひさし氏らの皆さん)には、とりたてて「師」という方たちは存在しなかったようだ。
しかし、小生には、この二人がいた。
その三好十郎氏の作品は「70年余」の時を経てもなお、熱く語りかけてくる――。
本庄慧一郎の本棚から 三好十郎氏本の一部
三好十郎氏/箱根仙石原にて
昭和30年(1955)の頃。本庄慧一郎(望田市郎)撮る。
昭和30年(1955)の頃。本庄慧一郎(望田市郎)撮る。
別の旅行のバスの中にて 左・三好十郎氏 右・本庄慧一郎
●それにしても――
日本の「運命」を左右する政治の中枢にいる者たちの「言葉」がやたら問題になっている。
「心根」を腐らせた人間の言葉が役立たずなのは当然だろ!
ケイちゃんの目 ↓
メモリーズ・オブ三宝寺池の水鳥たち(1990年代)
氷の上の水鳥たち