「社会&芸能・つれづれ愚差」第97回(通算207回)

企画室という仕事場の名称について

 以前、広告やテレビなど、マスコミの仕事をしていた時の会社名をそのまま使用している。
 同時に、現在は本の出版についての企画をあれこれ考える。
 といっても、自分の仕事のための企画である。以前は、広告やTVコマーシャルの企画そのものをビジネスにしていたが、現在は〔自分のための企画〕を考えてればいい。気がラクだしなにしろ楽しい。
 ある出版の企画で、大正後期から昭和初年代の政治・社会のデータを二・三、ピックアップした。
 いくつも論説や論文に目を通した。
 その一部をここに転載する。



 欧州大戦中の日本の繁栄は、つい昨日のことのようにふりえられるが、現在の沈滞と廃墟の中の日本人は、大正の終焉を消え行く時代の晩鐘として聞いた。だが、昭和の曙の薄明の中で、日本人はたれもまだ手さぐりの状態である。速い年の瀬に流されながら、人々は自分たちが歩いてきた過去の記憶の綱にすがることによって、これから歩き出す未来への手がかりとしようとしている。文化が、社会が、あらゆる面で低迷し、混迷し、おさきまっくらな時代に、驀進は禁物である。
(木佐木勝『木佐木日記』「『文芸春秋』に見る昭和史」より)



 資本家は、恐慌の重荷を労働者にかぶせ、「産業合理化」をおしすすめ、労働時間を延長し、賃金を切り下げ、人員整理の名目で、たくさんの失業者を街頭にほうり出した。中小企業が、バタバタつぶれた。一九三〇年の上半期、東京だけで夜逃げ、あるいは廃業したもの三万人、同じ年、従業員五〇人以上の工場だけで五十七万人の労働者がクビを切られた。紡績・製糸工場からは、ぞくぞくと、女子労働者たちが汽車賃もなく、東海道を歩いて村に帰っていった。
 新聞はつぎのように報道した。
  東海道をとぼとぼと,郷里へ帰る失業者
     (ドキュメント・昭和五十年史」汐文社より)



あれくるう大不景気のあらし
 政府は、民間の各種団体や新聞・雑誌・ラジオなどのマスコミを動員して、国民の耐乏を要求し消費節約運動をすすめた。国産品の奨励にも大わらわとなった。「全国民に訴う」という浜口首相の署名入りの宣伝ビラが全国千三百万戸に配られた。「緊縮節約はもとより最終の目的ではありませぬ。これによって国家財政の基礎を強固にし国民経済の根底を培養して、他日大いに発展するの素地をつくらがんためであります。明日伸びんがために、今日縮むのであります」と。
 また政府は「産業合理化」をはかった。合理化というのは、労働強化で生産能率をあげ、賃金切下げで生産費を安くすることで、できない工場はつぶれてもしかたがないという方針であった。(そして政府は景気対策として「金の解禁」を実施した)
 国民に将来好景気のくることを夢見させながら、その実、財閥金融資本の安定と利益をもとめようとしたものであった。
 「金解禁」によって、日本の金は、どんどん外国へ流れてゆき、デフレ政策によって物価が下がりあちこちで金づまりがおこり、物が売れなかった。好景気どころか、不景気風が吹きはじめた。
 ところで、そのころすでに、世界的な大恐慌がはじまっていた。一九二九年十月二四日(「暗黒の木曜日」という)、ニューヨークの株式会社にはじめるアメリカ(世界工業生産の四〇%)の恐慌は、たちまち世界中にひろがっていた。けれどもアメリカの繁栄を信じていた浜口政府は、なおしばらくは楽観していたが、金解禁はアラシに向かって窓をひらくようなものだった。それは、日本にも上陸し、金解禁、デフレーション政策に拍車をかけ、すさまじいまでに荒れくるった。
(註)恐慌、過剰生産の結果、資本の再生産過程がまひし、価格暴落、企業の倒産、生産力の破壊、失業と賃金下げなどをもたらす。「豊富のなかの貧困」といわれる資本主義に固有の諸矛盾を一時的、暴力的に解決する現象。
(ドキュメント・昭和五十年史」汐文社より)



 つまり、「百年に一度」とやらの「いつか来た道」にわれわれは追いやられて、トボトボ、オロオロと歩いてることですね。

— posted by 本庄慧一郎 at 01:52 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第96回(通算206回)

09年1月21日刊行、拙著「幻のB級! 大都映画がゆく」(集英社新書)についての書評がさっそく2月5日号(1月29日発売)の「週刊新潮」に掲載された。

評者は文芸評論家の縄田一男氏です。



《映画史に一石を投じる必読本》

  文筆を業とする者ならば、必ずや生涯に一冊というテーマを胸中にあたためているはずである。本庄慧一郎にとって、それが、四人の叔父がスタッフとして在籍し、少年期、撮影所の雰囲気を吸収しながら育った大都映画の全貌を解明していくことであっても何ら不思議はあるまい。
 実際、大都映画で製作された映画の中で、完全、不完全を問わず現存している作品はごく僅かでしかない。そこで著者が選んだのは、創始者・河合徳三郎を軸に映画史の未開拓部分に斬り込んでいくことであった。
 徳三郎は、西南戦争後の全国的不況の中、故郷岐阜から青雲の志を抱いて上京。
“もっこ抱ぎ(かつぎ)”をふりだしに、土建業者〜博徒集団の風雲児として名を轟かせた。さらに頭山満や後藤新平の知遇を得て政治外郭団体のリーダーとして東京府会議員を二期八年つとめ、いまも泉岳寺に遺る、大石良雄の碑を建立したりした。そして昭和二年、大都映画の母胎となった河合映画会社を発足。同十七年、政府の映画製作会社の統合命令により、日活、新興キネマとともに大映として合併吸収されることになる。
 著者の意図は、これまでの権威主義的な映画史にはほんの一ページくらいの扱いで、かつ、「満州事変から日中戦争に至る時期にキワものと呼ばれるニュース・ストーリー的な愛国的国策映画をいちばんたくさん作ったのはこの会社だった」と記されている誤記等を糺すことであった。この一巻によれば、大都映画は「大号令」という大作国策映画一本をつくったことを免罪符に、ますます娯楽路線の充実を図ってゆく。
 つまり、本庄の主張は、大都映画とは、社会の不況の中から躍り出た一代の奇傑・河合徳三郎がつくった娯楽の殿堂、すなわち、映画界の<立川文庫>というべきもの。そして、熱烈な固定ファンと驚異的な本数を封切り、経営破綻でなく、軍主導の国家の命令によって潰された映画会社である、ということになる。
 従来の映画史に一石を投じる客観性と、行間からにじみ出る愛情が一体となった映画ファン必読の一巻だ。



おかげさまで、映画監督、演劇評論家、日本映画史研究家……などの多くの皆さんからたくさんの反響をいただいています。
映画ファンの方々は、ぜひご覧ください。

— posted by 本庄慧一郎 at 09:28 am  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第95回(通算205回)

本庄慧一郎のメモランダム


「いちばんイヤらしい嘘はいかにも〔真実〕らしい嘘だ」 ――アンドレ・ジイド

いまの政治屋(!)たちは……まったくもう! ――本庄慧一郎



「田畑は雑草によって廃るが、人はどん欲によって自滅する」 ――「法句経」より

マネーゲームでキリキリ舞いしたあげく……去りゆく人々。 ――本庄慧一郎



「露の世は 露の世ながら さりながら」 ―― 一茶

金の世は 金の世ながら さりながら……醜悪な守銭奴たちよ! ――本庄慧一郎



「飢えた犬は、肉しか信じない」 ――チェーホフ

俗な政治家は、〔延命〕しか考えない。薄汚き政治屋たちよ! ――本庄慧一郎



「皿はその音によって、在る場所を示す。人は言葉によって、その知の有無を示す」 ――デモステネス

立てば虚言、座れば失言、歩きながらでまた妄言。勝手にしろ! ――本庄慧一郎



「話し上手の第一の要素は真実。第二は良識。第三は上機嫌。第四は機知」 ――テンプル

日本の歴代ソーリ大臣は……なんて考えるけどネ。フン。 ――本庄慧一郎



「花の匂いは風に逆らっては匂わず。されど善き人の香は風に逆らっても匂う」 ――「法句経」より

悪臭フンプンたる役人たちの……天下りと、渡りと、予算食いつぶしと、悪臭! ――本庄慧一郎



「平和を保つ最善策は、戦争当事者が、自分を絞首刑にふさわしい者だと自覚することだ」 ――カーライル

イザという時に、人を蹴散らかして逃亡するヤツが戦争をしたがる……のだ。 ――本庄慧一郎

— posted by 本庄慧一郎 at 12:20 am  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第94回(通算204回)

〔限界集落〕のこと
 愛読している東京新聞に〔サンデー版〕がある。
 その保存していた08年11月2日の「集落が消えてゆく」を再読した。
 「限界集落」というコトバがある。つまり、人々が古くから暮らしてきた自然豊かな村落や里山がいま、急速に荒廃し、消滅しているというデータが詳報されている。
 たとえば「過去7年間で191ケ所が消滅した」とあり、「今後2643ヶ所の集落が消える?」とも書かれている。
 この哀しく腹立たしい現象は、議論の余地なく政治の責任である。
 人口・世帯数が急減する。若者らが出てゆき、残された者たちの高齢化がすすむ。
 田も畑も、そして海浜なども荒れるままに放置されて……。この特集記事にはさまざまな問題点が報告されていて、暗然とせざるを得ない。
 自然豊かな里山が日々に荒廃してゆく。
 庶民の暮らしも不安と苛立ちに揺れている。
 若者や老人たちも、いや、多くの市民が不満を募らせている。

 〔限界〕なのは里山だけではない!

郊外ぶらり歩きが好きだ
 原稿書きに疲れると、アテのないぶらり歩きに出かける。
 本屋、とりわけ古書店のある街が好きだから、あまり銀座とか青山・六本木などには出ない。
 もちろん、芝居などを観る時は例外だが。
 それと、気まぐれでバスや電車に乗る。アテも目的もなしにだ。
 たとえば西武線にひょいと乗り、西武秩父や川越などに行く。
 つい先日もワイフと「行きあたりバッタリ」でなぜか西武池袋線秋津でJR武蔵野線に乗り換え南浦和まで出かけた。
 あえていえば「川が見たくて」である。
 西武秩父(乗車賃650円)の場合は、わざと各駅停車を利用する。
 飯能から先は、窓に寄り、畑や雑木の丘や山や、いくつもの谷川を眺める。
 昨年、晩秋の頃だった。農家の庭先のびっくりするような大量の実をつけた柿の木の美しさに「へえ!」とつい声をあげた。
 紅葉する森や林の微妙な色のバラエティもすばらしい。
 ときおり、輝くように鮮やかな黄色の銀杏の木があって、その自然色の美しさに熱いため息が出る。
 それと、きらめき流れるいく筋もの谷川の景観。
 文句のないこころ和む時がそこにある。(安いモンだ!)

オバハンたちの群れを敬遠する
 ところで、こんなコースにもとんでもない〔騒音〕に悩まされる。
 というのは3、4人のグループのオバハンたちとニア・ミスすると、あたりはばからずの彼女たちのお喋りにヘキエキさせられるのダ。
 あの切れ目なしのお喋りのスゴイこと。
 里山ののどかな景観も、谷川のせせらぎも、自然のなごやかなたたずまいもまったく眼中にない。
 シャベル、しゃべる、喋る。誰かさんのうわさ。家族にかかわる不満や文句たらたら。そしてからだや病気のこと。食べ物のあれこれ、そして、モモヒキや パンティのことなどなど……トーク・マシンだね。
 たぶん、日常の生活の中では、誰にも相手にされないカワイソーな女なんだろう、とあきらめる。
 いや、さっさと座席を変えてホッとするのもつかの間、新たなオバハン・グループがどかどかと乗り込んできて……まったくもう!

トークのプロであるはずの女性たち
 ぼんやり、テレビを眺めていたら、元アナウンサーとかの木佐ナントカか柴田ナントカ、タレントの松井ナントカといった三人の女性がお喋りしていた。スーパー文字では、三人が三人ともプロ野球選手と結婚しているらしい。
 とりとめもない日常のあれこれを語っているのだが、その話しぶりのだらしないこと……。がっくりしたねぇ。
 そういえば、イチロー選手の奥さんになった元TBSのアナウンサー福島弓子さんとラジオの生放送を1年間ご一緒したけれど、あのヒトはあまりしゃしゃり出てペラペラ喋ったりしないね。
 やっぱり、いい奥さんやってるんですよね。
 それにしても、いまのラジオ・テレビの女性アナウンサー、どれもこれもヒドイ。彼女たちもオバハンになると、ぶっこわれたトーク・マシンのようになるんだろうね。

〔限界集落〕のことも気になるが、ケイタイ電話に1日3時間もかじりついている人種がいるなんて……世に〔限界人種〕がはびこる昨今です!

本庄慧一郎のPR(小声で控えめに)

 集英社新書「幻のB級! 大都映画がゆく」1月16日発売!

 本屋さんでぜひお手にとってごらん下さい。


 

— posted by 本庄慧一郎 at 02:06 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第93回(通算203回)

それにしても、ヒドイ世の中になった

 新年の初頭は、心晴れやかに、いい笑顔で「明けましておめでとうございます」とあいさつを交わすのがしきたりだった。
 しかし、今年はこの慣用句を口にする気持ちになれなかった。

 私、本庄慧一郎は、甚だ勝手ながら、年賀状を控えさせて頂き、近況報告に新しい仕事のことなどのご案内をかねて、きさらぎ2月をめざしてのごあいさつ状を発送する予定である。
 このHPにアクセスして下さるたくさんの皆さんにもここに同じ文章をのせてごあいさつとさせて頂く。

 迎 春(♪ は〜るよこい〜 は〜やくこい〜)

  時を彩る四季が
  だれにでも等しく公平に
  和みや安らぎをもたらすように
  しあわせがすべての人々に
  まんべんなくゆきわたりますように


それにしても国会の討論はウツロだねぇ
 麻生ソーリ大臣というお方は妙なお方だなあ。
 あの〔答弁〕を聞いていると、つい「そうなっちゃうわけ?」「どうしてそうなるんだい?」と呟いてしまう。
 あの方、頑張れば頑張るほど、トンチンカンなことを口にするようになるタチなのではなかろうか。
 ぼくは、彼を選挙で選んではいない。政治家としての彼を認めていないし、ましてや彼の意見や見解や言い分をノッケから納得していない。
 もちろん、コイズミ・アベ・フクダといった連中も……というより、長期に居座った自民党政権の〔タライ廻し〕をずっと不快に思ってきたのだから。
 でもね、手におえないような現在の社会の実態と、水と油のように乖離した政治家集団を認めた選挙民がいるのだから……イヤになるね。

もう、あらためて書く気にもなれないけど……。
 年末年始のテレビのバラエティとかクイズとかいった番組のキンキン声にはホトホトまいったね。
 それと、ますます劣化するコマーシャル群の跳りょう!
 「待たれるコマーシャル」なんてほとんど皆無だね。
 しかも、ちょっとはマシなドラマなどでは、その劣悪なコマーシャルでズタズタに分断されて、シークエンスを破壊する。
 局の編成上の心くばりやチエや工夫などゼロで、ただ不快感をあおる。
 提供スポンサーも、その点どうとも思っていないようだしね。
 もっとも、ニュース番組などでも、皇室ご一家の紹介のあと、一言もクッションのアナウンスもなしに、血なまぐさい事件現場にチェンジしたりする、その無神経にして大胆な編成ぶりには口あんぐりだわさ。
 とにかく、どの番組にも乱用されているキンキラ声、アニメ声の女の声をやめてくれないかね。  それとニュース・ワイド番組のトークのバックにやたらME(ミュージックエフェクト)――ジャン! とか、シャウト声とか、とにかくウルサイぞ、おい。

音楽過剰 クレイジー現象
 映画「貝になりたい」もそうだったのが、やたら音楽がウルサイ。
 ボリュームももちろんだが、どのシーンにもべったり音楽が鳴っている。
 ディレクター・演出家のセンスもあるだろう。演技者がヘタクソだからなんとかムード作りのために……という都合もあるだろうが、現在のドラマなどの〔音楽依存症〕は限界を超えていて……迷惑だね。
 とりわけ、入場料を払って観る映画では、ただうるさいよ……バカじゃないの!

倉本聰さんと山田太一さんのドラマ
 このお二人とは、とりあえず、同業者でアリマス。
 倉本さんとはニッポン放送時代から存じあげているし、その後、倉本さんがフリーになられてすぐの仕事(アニメーションのシナリオ)をご一緒したこともあった。
 山田さんには〔浅草〕という街に対する思いがおありになる。そう「異人たちとの夏」(88年度山本周五郎受賞作)も浅草が舞台だった。
 幼い時から浅草に縁のあった小生はパーティなどでは山田さんとお話をさせて頂いたりした。
 なんにしても、お二人のテレビドラマにおける実績はスゴイ。
 でも、昨年末の「風のガーデン」にかかわる倉本さんの「もうテレビには絶望している」といった発言などには、小生も同感したものだ。
 小生はお二方のように腰をすえてドラマを書くことはなく、アレコレと経由して〔小説書き〕になってしまったが、でもずっとこのお二方の仕事ぶりを尊敬の念をもって見詰めて来た。
 倉本さんの「風のガーデン」同枠で、目下、フジテレビで放送中の山田さんの「ありふれた奇跡」における作者としてのお二方の位置は、どうやら対角にあるようだ。
 同業者のハシクレとしてはそれなりの感想もあるが、いずれ申しのべたい。
 なにはともあれ、このお二方が創り出す(創り出してきた)ようなドラマが見られなくなったら、もうまっとうなおとなはテレビを見捨てるだろう。

お二方にごあいさつさせて頂こう……
 小生は、昭和34(1948)年の日本放送作家協会発足以来の会員である。
 毎年、発行される「脚本家年鑑」(協同組合・日本脚本家連盟/社団法人・日本放送作家協会発行)には、お二人のお名前と私、本庄慧一郎の名はずっと載っているが、残念ながらゆっくりお話する機会は少ない。
 そういえば、もうすぐ小生の新しい本「幻のB級! 大都映画がゆく」(集英社新書1月16日刊)が届く。
 文庫書き下ろし時代小説は四十数冊なるが、〔新書〕は初めてだ。
 お二方にお送りして、ご高覧頂こう。
 やはり、年の始めは「やる気になる!」である。
 「へこたれてたまるか」とというわけで、本年は是が非でも舞台のオリジナル脚本を書く。

P.S.
 ところで文庫書き下ろしの時代小説の新刊本のご紹介です。

 学研M文庫 「奈落の銀次始末帖・夢追い川暮色」

 芝居小屋の奈落で働く銀次――実はもと侍で真神道流の達人。江戸にうごめく悪党どもにさっそうと立ち向かうお話。
 どうぞご笑覧を。

— posted by 本庄慧一郎 at 03:40 pm  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
21.1:130:128:0:0::center:0:1::
平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
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