「武器や兵器を駆使する戦争と言う行為には〔正義〕や〔大義〕など絶対にあり得ない」
つねづねぼく、そう考えてきました。
芥川竜之介もこういっています。
正義は武器に似たものである。
武器は金を出しさえすれば
敵にも味方にも買われるであろう。
正義も理屈をつけさえすれば、
敵にも味方にも買われる。
それにしても、なんとも浅はかで欺瞞にみちた〔正義〕が、堂々とまかり通る不思議よ。
酷暑といわれたこの夏、時代小説を書く合い間にあえて「平和を願う歌シリーズ」として5篇の作詞をしました。
そして初心にかえって、かねてからの意中のひと(優れた歌い手であり作曲家であるお三方)にプレゼンテーションする予定です。
平和を願う歌シリーズ I
散(SANGE)華 ―孤独な遺骨たちへの挽歌―
ひとが 戦さを起こす 懲りずに
つよく とどめる声を 無視して
銃で 幼い子さえ 殺める
そして 禍ちさらに 重ねる
見知らぬ異国の大地にうずもれ
果てない海原の藻くずにまぎれて
無数のなきがら 無言のはらから
置き去りにされた 魂の孤独よ
老いたる父母のゆくすえ思い
いとしき妻子には笑顔での別れ
希望を語る ときめきをすてて
愛され愛して 生きる未来もすてた
一輪の花さえもたむけることなくて
祈りをささげる人もまた遠くなる
癒えない心の証し 骨のかけらたち
終えしいのちのかたみ 骨のかけらたち
安らかな眠りを贈りたいここに
永遠の和みを贈りたいせめて
聞こえていますか この言葉すべて
届いていますか この歌の願い
SANGE SANGE SANGE
SANGE SANGE SANGE
聞こえていますか この言葉すべて
届いていますか この歌の願い
SANGE SANGE SANGE
SANGE SANGE SANGE
聞こえていますか この言葉すべて
届いていますか この歌の願い
平和を願う歌シリーズ II
惜別の歌 ―はるかなる弟へ―
あの日はずいぶん遠くなりました
いくつもの季節が背をむけました
けれども忘れないあなたのことを
凛々しく戦場へ征った弟よ
あなたのアルバムを手ばなさなかった
母さんがいましがた亡くなりました
朝夕に陰膳をお供えしていた
あなたの母さんが旅立ちました
意識がうすれ遠のくつましい床でも
あなたの名前をつぶやいていた
血をわけたあなたのことに思いをつなぎ
ずっとあなたのことを忘れなかった
アジアはひとつという言葉を信じ
愛する者のためとひたすら思う
学生帽子をかぶった幼い顔で
とまどう母さんをふりきっての志願
清らに散る桜になぞらえ例えて
その名は「桜花」という特攻機
機体の重さ千と二百キロとか
あなたの体重は13貫と200
とっくに色あせた一枚の遺書
さよならお達者での四角い文字
わらって送ってという大きな文字に
わたしも母さんもただ哭きました
希望をふりすてて恋をあきらめ
愛する者のためお国のためと
信じて飛んだ見知らぬ国で
いのちを炎にしてあなたは逝った
せつない思いはそうっと消したい
けれども思い出すきのうのように
記憶のスクリーンにはあなたのおもかげ
まぶしい笑顔が甦ってくる
はるばる浄土への道まようことなく
母さんそちらに着いたでしょうか
できればあなたの胸に迎えてあげて
いたわり寄りそい暮らしてあげて
わたしの声が聞こえますか
わたしのこの歌がとどいていますか
わたしのせめてものこの願いが
わたしのせめてものこの願いが……
来週はさらにこの「平和を願う歌シリーズ」のうち、
あと3篇の歌詞をご紹介します。
武器や兵器を駆使する戦争と言う行為には〔正義〕や 〔大義〕など絶対にあり得ない
2004/9/30
— posted by 本庄慧一郎 at 09:57 am
表現するという仕事はオモシロイ
2004/9/23
ふとふりかえってみると―
ものごころついたトシにはもう、大人の小説を読みふけっているマセガキでした。
母方の叔父たちに劇作家・シナリオライター・そして映画監督がいたから、当然のように〔物書き〕になりたいと一途に思い込んでいたのです。
そのせいで、長じて劇団に在籍し、戯曲・演出を学び、その後、ラジオ・テレビの放送作家。そして広告・TVCMのコピーライター。さらに現在の小説の仕事に至っています。文字とのつきあいはじつに長い。
コピ−ライタ−時代の歌の作詞はン百曲?
もともと音楽好きでした。ラジオではジャズ・ポピュラー・ロック・フォーク・歌謡曲の構成台本を手当たり次第担当。1966年、ビ−トルズ来日のときには武道館に〔取材スタッフ〕として出かけているんですね。
そのせいかどうか、作詞は大好きです。したがってCMソングに関しては、立川清登・友竹正則(お二人は故人)。小林幸子・森山良子・荒井(松任谷)由実・伊東ゆかり・北原ミレイ・梓みちよ・リリィ・ヒデとロザンナ。そしてデュークエイセス・ダークダックス・尾崎紀世彦・杉田二郎・・・etc。ン百曲を作りました。
あらためて「CMでない歌をかくぞ」
いま時代小説をせっせと書いていますが、こんどシャンソン、カンツォーネのベテラン歌手、高田康子さんのオリジナル曲を二つ書きました。
その後(この酷暑の7月〜8月には)「平和を願う歌シリーズ3作品」を作詞もして、これから「この人にぜひ歌ってもらいたいという方」にプレゼンテーションをします。この歌詞は来週、このコーナーに掲載します。乞うご期待!
高田康子コンサートのご案内
新艶華「絹の闇」
作詞 本庄慧一郎
作曲 立原 摂子
歌 高田 康子
倫ならぬ運命 九十九折り
たどりきた小徑 ゆきどまり
あなたを愛した そのときに
覚悟をきめての 旅だけど
指きりかわせば 滝しぶく
如意輪観音 しだれる桜
ああ堕ちてゆく 堕ちてゆく
月めぐり めぐりての春の宵
惜しからぬ命 ただ熱く
後悔のないときを 紡ぎつつ
ふとすれちがった 幼な子の
清らなまなざし 風ぐるま
いろは匂えど 散りぬるを
虚空蔵菩薩 朱いろのもみじ
ああ堕ちてゆく 堕ちてゆく
風ゆれて ゆらめいて初あらし
気がつけばいつか 雪もよい
めぐる思いよ 糸ぐるま
藍のはなびし 京小紋
銀糸の細帯 べにの筆
きのうは捨てよと 鐘の音
大日如来 冬咲くつばき
ああ堕ちてゆく 堕ちてゆく
雪ふわり ふうわりと絹の闇
WHITE LIE ― 白い嘘
作詞 本庄慧一郎
作曲 北村 勝彦
歌 高田 康子
いつのまにか 小雨が
雪にかわったわ あなた
雪は すすけた街を 美しく隠すけど
ひとの心 いつわるための嘘などは 隠せない
White lie たあいないことだという
White lie それは誤解だよなんて
いつものように そんなことで背をむける
いつものように それですますつもりなの
ひとつ嘘をつくときは 20もの嘘がいる
そんなことを知らないとはね やはり幼いままね
White lie ずっとだまされてあげた
White lie それももうあきあきしたわ
どうやらすでに このお芝居 フィナーレね
せめても いうわ お元気でね ごきげんよう
いつのまにか 小雨が
雪にかわったわ あなた
《高田康子コンサート》
と き 2004年10月1日(金)
開 場 PM6:30 開 演PM7:00
と こ ろ 四谷三丁目「蟻ん子」 03(3357)6404
チケット ¥5,000.−(予約制です)
というワケで今週は本庄慧一郎のもうひとつのフィールドのご紹介でした。
— posted by 本庄慧一郎 at 08:51 am
ウルサイ・アザトイ・ダサイ―TVCM群
2004/9/16
ムカシはよかった、とはいいたくない
かつて、テレビ文化とかCM文化ということばをよく耳にしました。
文化とよぶにふさわしい上質の魅力があったのです。
ぼくは放送作家としてラジオ・テレビ番組にかかわっていたし、また、企画・コピー・制作でラジオ・テレビのコマーシャル作りで働きました。
いずれの場合も、発展途上にあったそれぞれのギョーカイはんみんな真面目で真摯でしたね。
メディア多様化の中でのテレビは?
近頃はどうか―たとえばテレビの番組(とりわけ娯楽番組)やテレビコマーシャルの劣悪なこと!文化とはほど遠いモノばかりです。
たとえばコマーシャルですけれど、ほとんどが「ウルサイ・アザトイ・ダサイ」。
ぼくが現場で働いていた頃は「CM上手のご三家」といって、サントリー・資生堂・松下電器の3社が挙げられていましたけど、現在はその出来においてさしたる差はありませんね。
だいたい、「どうしてこんなCMを作るの?」という品性を疑うようなのがやたら多いじゃありませんか。
広告主やCM制作者たちの知性は?
一例を挙げるなら〔出光〕のCM。番組では「題名のない音楽会」といった文化の香りを大切にした良心的なエンターテインメントを提供をしていながら、あのCM群のひどさといったら……。
このところ出光のサービスカードをしつこくアピールしていますが、まずデモンストレーションの男女のキャラクターの不気味でウルサイ連呼。これはこれとして、ショッピングのカウンターに現れた女性ユーザーが自分のバックからザラザラと無数のカードをぶちまけるバージョン。さらに男性ユーザーがコートの前を開くと内側にこれはまた無数のカードが仕込まれていて―つまり「出光のカードならコレ一枚」といった自画自賛でしめくくりです。
お客様をコケにして販売促進?
それにしても、コレってユーザー、お客様をとことんバカにしてませんか。
こんな表現がユーモアとギャグとかと思い込んでいる広告主やCM制作者の思考の質を疑います。これは販売促進ではなく、販売阻害のCMですよ。
なんとかテレビという公共のメディアからウルサイ・アザトイ・ダサイといった不快を追放したいと考えるのはぼくだけでしょうかね。
— posted by 本庄慧一郎 at 08:49 am
巧言令色鮮し仁
2004/9/11
小泉サンのあの表情は…
こうげんれいしょくすくなしじんといいますね。
ご存じのように「人の顔いろを見てその場かぎりの言葉でごまかす。こんな人間には真の誠意やまごころがない」という意味です。
たとえば、小泉純一郎サンというお方は、よくいえば当意即妙、ありていにいえば軽佻浮薄の無責任な言動をしきりと使います。
ひょいひょいと口にするフレーズは、アサハカなコピーライターが考えたキャッチフレーズのように、こころに響いてくるクオリティがないのです。
それと、のべつニヤニヤしているあの表情は、真摯(しんし)にものを考える人間のそれではない。
考えているひとはそれとわかる
やはりきちんと物事を考えているひとの表情は、はっきりそれとわかるものです。
ぼくはいま時代小説を書いていますが、人生修行の第一歩は演劇を学ぶことでした。
劇団民芸の「ゴッホ小伝 炎の人」という戯曲を書いた劇作家三好十郎氏の劇団の文芸演出部に在籍して、三好十郎氏の書斎で原稿の清書をしたりして直接教えをうけているのです。
また叔父の劇作家小沢不二夫(戦前の新宿ムーランルージュ出身。美空ひばりの「リンゴ追分」の作詞などもしている)にも脚本や演出の指導をうけました。
小説でも演劇でも「人間の外面とその内面心理」は研究課題の必須項目ですが、とにかくあの人の表情はどう見ても「誠心誠意」という四文字は感じられません。
簡単に騙されてはいけない
あの人の表情や態度から感じ取れるのは「自己満足」と「蔑笑」です。
その彼が80パーセントを超える支持を保っていたということも、ぼくにはまったく納得のいかないことでした。
あの時「純チャン」と叫んで手をふっていたオバサンたちはこのところ「きよしチャーン!」とやっているようですがね。
なんにしても、「簡単に騙される日本人」をなんとか返上しなければ、この国は決してよくなりませんよね。
— posted by 本庄慧一郎 at 08:23 am
続・一通の手紙から始まる
2002/2/26
樋口恵子さんへの手紙のつづき
前回に続いて、評論家樋口恵子さんのことを書かせて頂く。
樋口恵子著「私は13歳だった/少女の戦後史」(筑摩書房)から、前回分の続きである。
以下「私は13歳だった/少女の戦後史」筑摩書房より引用
望田さんのぶ厚い手紙の中身はもう正確に記憶していない。ようするに「自分のことだけ考えていい気になるなよ」という趣旨が、体験をまじえて切々と、大学仲間以上に理路整然と語られていた。家庭の事情で進学できなかった口惜しさは文面にあふれていたが、それは決して怨念や、怨念と表裏一体の上昇志向につながらず、自分自身であることを、同じ二十歳の地平から出発させようというさわやかさがあった。(略)
負けん気で頑張り屋で人柄のよい望田さんは、その後も勉強をつづけ、著書も数多くあり、マーケティングの専門家となった。「青い実の会」とは望田さんを通して細いながらも交流がとぎれずにつづき、いっせいに還暦を迎えた年に、新宿のレストランでささやかな自前のお祝い会を開いた。小柄でやせた青年だった望田さんは、見違えるほど貫禄がついて、しかし最初に出会ったときと同じような敏捷な目付つきで「これから直木賞を目指して作品を書く」と志をのべた。「はたちの記」のおかげで、私は同時代を歩むそれまで知らなかったグループの仲間に加えてもらった。
もうひとつのプレゼント
それはそれとして、この樋口さんがもうひとつ《いい動機》をプレゼントしてくれることになる。
当時、樋口さんの実家は西武池袋線の練馬駅と豊島園の中間に位置するあたりにあり、お招きをうけておじゃましたことがあった。
欅の大木と高い踏み石の据えられた幅広い縁側が印象にある。お父さまは考古学の研究をなさっていたのだろうか。
おなじ著書の中で、当時のお家は「家中まるごと学生寮になったような、梁山泊的ムードがあって、私も一緒に騒いだ」と書かれている。その下宿人の中に、劇団戯曲座の俳優がいたのだ。
この劇団は、劇作家三好十郎さんが主宰していた。三好十郎さんは、昨年他界なさった劇団民芸の滝沢修さんの「ゴッホ小伝 炎の人」の名舞台をはじめ、近代演劇に大きな業績をのこした優れた劇作家である。
わたしの叔父小沢不二夫がやはり戦前の新宿ムーランルージュで劇作の仕事をしていたことは前述した。
新宿ムーランルージュとは、当時〔早慶〕の学生やサラリーマンや有名文化人らに支持され、都会的センスで人気を集めていた小劇場だった。
そこに三好十郎さんもファンとして通っていて、叔父小沢不二夫は後輩として目をかけられていたのだ。
それは生涯の師との出会いのきっかけ
さて話はもどるが、樋口さんは下宿していた俳優に紹介されて、戯曲座のけい古場(京王線桜上水の宗源寺にあった)に出かけたのだ。そして「望田(わたしの本名)さんは、絶対戯曲座が向いてる。三好十郎さんにお会いになるべきよ」と言ってくれたのである。
わたしはそのおかげで《生涯の師》としての劇作家三好十郎さんと出会ったのだ。
三好十郎さんは忘れ得ぬ人である。樋口恵子さんは大事な友人である。
— posted by 本庄慧一郎 at 08:43 am