芥川竜之介の“人生は一箱のマッチだ”

人と仕事について
芥川龍之介がこんなことを書きしるしていた。
「人生は一箱のマッチに似ている。
重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わなければ危険である」
なるほどなぁ、と思う。そのとおりだ。
でも、この例え話は、人生にかかわることすべてに当てはまるのではないだろうか。
たとえば、「人生」という箇所を「仕事」に入れ替えてみる。あるいは「食べる物」にしたらどうか。「趣味」にしてもいい。

そういえばこのところ、しきりに「人と仕事」のことについて考えてきた。
仕事−職業。
人間、生きるためには食う。
食うためには金を稼がねばならない。金を稼ぐためには仕事をするのである。
しかし、みずから選んだはずのその仕事に、からだも心も壊されてしまう人が少なくない。周囲に定年退職した人が多い。干からびてしまったような人が目に立つ。
いや、職場を退いた途端に、業病に取り憑かれて亡くなった人が数えきれないほどいる。いやいや、定年退職という人生の、一幕目の幕が降り切らないうちに倒れてしまう人もずいぶんいた。

はた目には楽し気な“三虚”の世界
わたしが生業としてきた仕事は、ラジオ局テレビ局、そして広告代理店やコマーシャルや番組の制作プロダクションが主な場だった。ある事情でホンの三年ばかり大手広告代理店に勤めたが、あとはすべて、そのつど注文に応じて働く場所が変化した。いわゆるマスコミである。ハタ目には楽しげで、派手で、気楽に見えるこれらの職場だが、はっきり言って、虚勢と虚栄と虚偽がはびこっている世界なのだ。

事実、わたしの周囲では、業界の特殊性が原因してか、ストレスと不摂生で早々に崩壊した人がワンサといる。少々サラリーが高かったり、人が羨む高額のボーナスをもらっている人種がバッコする業界の本質は、極めていかがわしい。しかも、タレントとか芸能人とかが、さらに虚勢や虚栄に拍車をかける。

「バタバタと倒れる」という形容がある。戦国時代の戦場とか、第二次世界大戦における激戦地のことをいうのではない。テレビ局や広告代理店や制作プロダクションという職場のことだ。定年退職前にあっけなくあの世に逝った者が続出した事実を知っている。「え?あの人が!?」という驚愕はいくつも体験した。今現在でもその<意外な驚愕>は続いているのである。からだと心の酷使で、彼らは憤死していったのだ。

原稿用紙に字を綴り続けるが
わたしは、いま物書きのはしくれである。税務申告書の職業欄には「文筆業」と書く。二十代のころから、変わらない。いや途中、二、三年、会社勤めしたことがある。けれど、そこでの仕事も、原稿用紙に字を綴ることだった。(コピーライターとしての仕事であった)だが、その原稿用紙に字を埋める仕事も、マスコミとかかわって情況は一変した。 <考える><書く>という書斎的な作業よりも虚勢、虚栄、はたまた虚偽のはびこるマスコミの渦のまっただ中に出ていかざるを得なくなったのだ。

このインターネットエッセイでは、わたしの経験を通して、みなさんの知り得なかった世界をお見せできればよいと思っている。

— posted by 本庄慧一郎 at 05:23 am  

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