「ニッポンの芸能人」シリーズ38
2005/7/4
お三方の訃報――水島弘さん。
劇団四季の創立メンバーである俳優水島弘さんが亡くなられた。72歳。
劇団四季の初期、確か現役で活躍する日下武さんなど7人のメンバーのお一人だった。
ぼくのイトコに水沢有美という女優がいて、彼女が5歳か6歳のとき、浅利慶太さんに頼まれて「せむしの聖女」に出演することになり、ぼくが付き添ってけい古場に通った。
水島さんはがっちりした体と、低くてよく透る声と、黒い髪の男らしい顔の俳優だった。
ご実家は現在のぼくの仕事場に近い西武新宿線上石神井に近いタタミ屋さんで、「ご実家知ってますよ」というと「へえ、そうですか」と相好をくずして答えられた。その親しげな表情をなぜか鮮明に記憶している。いまもそのご実家はある。
同じスターティングメンバーの日下武さんとはTBSラジオ(当時のTBSブリタニカ提供)の番組を構成していてずっとご一緒した。トヨタ自動車のCMン10本にも出演してもらって、ぼくがキュウを出した(演出した)。
番組の内容は「サイエンスを楽しく」だったので故竹内均先生にも親しく教えを乞うた。
当時、叔父の劇作家小沢不二夫の家には同じ劇団四季の田中明夫さんもよく遊びにきていた。ラジオドラマ「風雲黒潮丸」で達者な演技を披露していた。彼も故人になった。
それにしても、国鉄労働会館ホールや一ッ橋講堂での四季の公演の若き日の浅利慶太さんの印象もはっきり記憶している。
お三方の訃報――松村達雄さん。
黒沢明監督の最後の作品になった「まあだだよ」。CM時代の親しいクリエイティブ仲間(TVCMをン10本も一緒に作った)内田健太郎さんと、「まあだだよ」のメーキングフィルム(制作記録)を作った。
朝9時からの東宝撮影所。内田百けん役の松村達雄さんが、タバコなどを吸って学生が騒いでいる教室に入ってくるシーンだったが、黒澤さんが何度も松村さんの演技に注文を出し、結局午後4時ほどまで同じことをくり返した。
松村さんはムクれもせずたんたんと演技をしていた。(そのなりゆきをじっと「寅さん」の監督の山田洋次さんが見学していた)。
松村さんといえば「寅さん」だが、たまたまある番組に20名ばかりの若手俳優を引率していったぼくは、出演待ちの控室で、まだ無名だった渥美清さんとうんざりするほどの待ち時間をお喋りした。
浅草やストリップ劇場のことを、彼は面白おかしく語った。サービス精神の旺盛な彼のあの四角い顔を忘れない。
そういえば、松村さんが主宰なさっていた「五十人劇場」の舞台も観た記憶がある。よく、高円寺や阿佐ヶ谷の町でもお目にかかったなあ。
お三方の訃報――水藤五朗さん。
練馬文化の会というのがある。画家や演劇人や一般の人たち200人ばかり)の親睦団体だ。
その創立35周年記念イベントとして、地元の練馬石神井三宝寺池にかかわる史話「豊島一族石神井城落城悲話・照姫散華」を舞台化する企画があった。
会員の琵琶奏者であられる水藤五朗(すいとうごろう)さんの琵琶の演奏と語りでいうということで、ぼくが原作を書いた。
ラジオ・テレビの台本、TVCMの企画コピー、ン百曲というCMソングの作詞、そして時代小説や舞台の脚本……いろいろ手がけたが、〔琵琶の台本〕は未経験だった。
水藤さんはぼくの原作をアレンジして下さり、練馬公民館で上演。琵琶の音色をじかに聴くのも初めてという人たちの熱い拍手をあびた。
少し高めのお声、むしろ童顔といえる若々しいお顔。そしていきいきと豊かな表情――。
とても61歳で急逝されるとは思えないお元気さだった。
イヤな奴ばかりが目につく。
ぼく個人としては、ほどほどに真面目に、そして他人に迷惑をかけないように不真面目でいたいと思ってやってきた。
でも近ごろのゲーノーやTV界には、(いや、一般の政治・社会も!)デタラメな人間ばっかりで、こっちはついついブレーキをかけざるを得ない。
政治に弱い者いじめはさらに度を加えているが、幼い子どもや高齢者をいけにえにする輩の跳りょうには、ほとんどアタマにくる。
いま書いている時代小説のテーマは「法で裁けぬ悪党を裏で始末する」だが、まったく野放しにしておけない恥知らずの〔下等動物〕みたいな奴らめ、不快きわまる。
2006年6月……水島弘、松村達雄、水藤五郎の皆さん、あちらへいったらまた仲良くしてください。〔とりあえず〕ご冥福をお祈り申し上げます。
— posted by 本庄慧一郎 at 05:16 pm
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