「あけましておめでとうございます」という慣用句が、まったく不適当な2009年の年明けである。
世界というレベルでも、日本という限定区分でいっても、為政者たちの〔怠慢〕と〔醜態〕が厳然とそこにある。
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「百年に一度の大恐慌」という。あらためて〔恐慌〕というコトバを広辞苑でひく。
「景気の循環過程における最悪の経済状態。過剰生産に基づく資本主義固有の矛盾が爆発し、価格の暴落、失業の増大、破産、銀行の取りつけなどが起きる現象。金融恐慌・農業恐慌などがある。パニック」とある。
そして、この〔狂った恐竜〕のためのパニックで、とことん痛めつけられるのは一般庶民である。しかし、銀行・大企業などは、さっさと自衛して逃げをうつ。
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不況の激流に翻弄される者たちの間で、小林多喜二の「蟹工船」がブームだとか。哀しく腹立たしい「ブーム」である。
作者小林多喜二は、昭和8(1933)年、築地警察署に連行されて〔恐怖の弾圧組織・特攻警察〕の拷問によって2月22日、極寒の留置場でボロボロの無惨極まる姿で死んだ。
その時の詳細は、たとえば「ドキュメント昭和五十年史2」(汐文社)に友人の作家江口渙によって記されている。
また、「昭和・平成・日本テロ事件史」(64年宝島別冊)などには無惨な小林多喜二の写真も掲載されていて、あらためて〔慄然〕とする。
小林多喜二は1903年生まれ。虐殺されたのは1933年、30歳の若さだった。
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たしか、ニイチェだったか、こんなことをいっていた。
「生きものの中でとりわけ苦しみや哀しみに翻弄されるのは人間だけだ。だからこそ人間は笑いを発明せざるを得なかった」
しかし、こんなにヒドイ時代、快く笑うことすら出来ない。
「快くわれに働く仕事あれ。それをしとげて死なむぞとおもう」は石川啄木の歌。その啄木が極貧のどん底で病死したのが、明治45(大正元)年4月13日。多喜二よりも若い27歳だった。
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現在――やたら生活の周辺は〔ぜいたく〕という名の虚飾だらけだが、でも啄木や多喜二のように貧しさに苦しんでいる者は多い。
矛盾と、欺瞞と、理不尽な格差の横行する現在――とにかく……なにがなんでも平和に。そして、すべてを公平に、平等に、まじめに働く者がそれ相応に心おだやかに暮らせる日々を!
〔快く笑う〕という気持ちやゆとりを奪い取る政治は悪だ。