●あの元ビートルズのポール・マッカートニー(71)が11年ぶりの来日をした。
約3時間のソロコンサートはブレイクなし(水分補給もなしの?)ホットなステージだとか。
●かつて放送作家だった本庄一郎(当時)は、さまざまな番組の構成を手がけていたが、その一つに東芝EMI(当時)提供番組があり、ビートルズの日本デビュー・キャンペーンの一端を担って、せっせとビートルズのアピールをした。
●そして、ビートルズ来日(1966年6月30日・7月1日・2日/日本武道館公演)では、武道館の正面1階席の前列席でナマの彼らを見、そしてライブ音を聴いた。(といっても演奏が始まると場内は熱狂の歓声にカン声にインボルブされた!)
●ぼくの席の周辺は有名人がゾロリといたが、(三島由紀夫さんとか?)そんな風景を気にする者は皆無だった。
ぼくもあくまでも「取材」という役割を背負っていて、異常ともいえる興奮のルツボのさなかにあって、つとめてメンバー4人の表情やアクションに気を配っていた――ことを思い出す。
●来春(平成26年4月)からスタートする新聞連載小説の資料の読み込み、物語の内容の企画と検討……等、やることは山ほどあるが、あえて(古書店の物置小屋のような)資料の中から、当時のビートルズ関係のモノをとにかく急ぎ探し出した。
●このン10年は、とにもかくにも江戸時代の小説を書いてきた。そして、あの「3・11」以後は、「物書きの原点」になった、演劇――舞台脚本にシフトしてきた。
したがって、時には「来日したビートルズを取材した時代小説家」などと(遠慮ぶかく!)呟いたり、書いたりした。
●来日以前のビートルズについては「イギリス・リバプールの小便くさいうす汚い裏町のガレージから、彼らは世界のステージに踊り出る!」などとDJ番組のコメントに書いた。
●ビートルズ初来日から2年後に、映画「ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!」が封切られる。そのPRにも一役買ってスポットCMなどを作った。
「あんなウルサイのは音楽じゃねぇ」というジジイたちの声に抗して、とにかくのっけからビートルズ応援団だったことは、「まぎれもない事実」である。
●東芝EMI提供の番組では、ビートルズ以外に、ザ・ベンチャーズ、P・P・M、そしてギングストン・トリオなどのフォークソング、さらにアダモやエンリコ・マシアスなどバラエティにとんでおり、同時に、ザ・フォーク・クルセーダーズの「帰ってきたヨッパライ」や水原弘や黛ジュンなどの歌謡曲も「ただいまヒット中」とアピールした。
●それもこれも「生活のため」ではあったが、とにかく面白くて刺激的で、のちのちの「時代小説」などを書くための「コヤシ」になったと思っている。
●そういえば、山積みのさまざまな資料の中に、ビートルズの日本初登場ナンバー「抱きしめたい」の見本盤(ドーナッツ盤)もあったはずだけど、時間をみつけて大捜査してみるか。
●うさん臭い偽称・偽装大流行(政治・社会、そして食品などなど)だが、「ポール・マッカートニーのニセモノ」は出てこないネ。
●ポール・マッカートニーも若いけど、こっちだって、負けちゃいねぇーぜ!
ケイちゃんの目 ↓
**テスト盤「レディ・マドンナ」**
**アルバム「TheBeatles/1962-1966」**
**アルバム「TheBeatles/1967-1970」**
**各アルバムのライナーノート**
**とりあえず探し出した資料本**
**LPレコード付録ポスター2種**