●そういえば――
「働く女性たちの託児所問題」をクローズアップするきっかけになったのは、「保育園落ちた日本死ね」という匿名ブログだった。
この件に関して、東京都杉並区の田中裕太郎区議が「これは便所の落書き」と切って捨てるブログを書き込んだいう。
(東京新聞2016年3月17日夕刊より)
●そういえば――
この「保育園落ちた日本死ね」の1行が大きな波紋をよび、多くの働く女性たちが同調して社会問題化した。
すでに子育てを終了している者たちをも巻き込んで注目を集めたのは、有意義なことだった。
●そういえば――
杉並区田中区議の「便所の落書き」説は、ゴーマン以外のなにものでもない。
たしかに「保育園落ちた」「日本死ね」の文脈は短絡している。
しかし、この種のメディア(「ツイッター」「SNS」など)の文章ではそんな不備は日常茶飯事だ!
むしろ、書いた当事者の切迫した「現在の窮状」がしっかりと浮き彫りにされている。
●そういえば――
「便所の落書き」と切って捨てた田中氏の文章だが――「便所の落書き」が拙劣なワイ画に堕ちたのは戦後で、日本国が「戦争という取り返しのきかない急坂を転げ始めた昭和10年(1935)頃から」軍国色一色に塗りつぶされる時代の「便所の落書き」は、庶民一般の者たちの「ギリギリのアピール」を記す「伝言板」だったのだ。(もちろん定番のワイ画もあったろうが)
●そういえば――
昭和時代の史料本の中に、ごく一般の者たちが思いあまって書き記した文章やコトバが当局(特高警察)によって、どれほどこまかく監視され、きつく取り締まられたか――この本には800件の具体例を引用して語られている。
たとえば、「神戸市神戸駅構内男子用便所内」とか「大阪市港区天保山桟橋船客待合室便所内」とか「東京府北多摩群小平村東京商科大学便所内」にてとか……「便所の落書きの」の多くが、きびしい言論弾圧の監視をかわしての「必死のメッセージ」として活用されていたことが実例で記録されている。
「暗黒時代の庶民のホンネ」という当時の記録に息も詰まる!
戦時下の「便所の落書き」は命がけで書いた。
以下、実例1〜3
『昭和特高弾圧史5/庶民にたいする弾圧 全 1936〜45年』
編者 明石博隆・松浦総三 1975年 太平出版社刊より。
●実例その1
客月九日芝区西久保巴町46番地先共同便所に黒鉛筆を似て
「軍部独裁遂に国を過る アー祖国日本何処へ行く 憂国の士よ奮起せよ」(後略)p154より
「軍部独裁遂に国を過る アー祖国日本何処へ行く 憂国の士よ奮起せよ」(後略)p154より
●実例その2
不穏落書き 六日、福島県相馬郡原町小学校便所に
「我等のスローガンは、先づ財閥を倒せ! 高利貸しを倒せ! 不当利得者を倒せ! 金銭万能を葬れ! 金持ちを根絶せよ! 斯くて国家の改革を図れ」(後略)p177より
●実例その3
反軍落書 九月二十九日、横浜市中区省線横浜駅構内便所に
「日独軍事同盟絶対反対」(後略)p192より
「日独軍事同盟絶対反対」(後略)p192より
●そういえば――
いくら賢い犬やサルでも「自分たち」の歴史について、学んだり考えたりすることはあり得ない。
人間だけが、書籍や資料本で「来し方」を検証し、未来を考えることが出来る「生物」である。
とにかく、「選良」たる者(国や地方の議員諸氏ら)は、しっかり腰をすえて勉学に勤めて下さいよ! それなりの報酬をもらってるんだから。
●そういえば――
時代が悪けりゃ「便所の落書き」だって「命がけ」ということです。
ケイちゃんの目 ↓
「悲痛な落書き」のない平和時代の公衆トイレ
雑誌『東京人』連載(1987〜1991)を書籍化した、
『東京ろまんちっ句』著 望田市郎 1996年 冬青社刊より
雑誌『東京人』連載(1987〜1991)を書籍化した、
『東京ろまんちっ句』著 望田市郎 1996年 冬青社刊より