現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
「タレント」とは「才能ある人」のことだよ。
●どうでもいいコトだけど――
「女優降板トラブル」とやらで、テレビの社会報道番組でもガタガタ紹介されているが、「女優」という女性二人も、「演出家」を名乗る女性も、いずれも演劇の舞台には「ウスッペラ」な姿勢とキャリアしかない者たちだろ。
●どうでもいいコトだけど――
「演出」も「女優」という肩書きも「見当ハズレ」じゃねぇのかい。もちろん、何をどう名乗ろうがいいけど、「いずれもさま」も「勘違い」が過ぎるんじゃねぇかい?
●どうでもいいコトだけど――
「演出」とよぶからには、それなりの勉強と、専門家としての見識と度量が必要だし、「女優」と名乗るからには、それ相応(最低の)才覚がなくてはハナシにならない。
ちょっとばかし、他人より早めにそれらしいコト(!)を聞きかじったからって、カッコつけるのはこっけいというものだ。
●どうでもいいコトだけど――
「女優」といえば、舞台では出雲阿国(出生没年齢不詳)という女性がいた。「歌舞伎」の原典と称されている人物だ。
だが、現在の歌舞伎は「女優なし」の男性俳優ばかりで舞台を作る。
だから「俳優」という用語を使う。
●どうでもいいコトだけど――
舞台女優といえば、近世では、市川九女八(くめはち)(1846年〜1913年)という女性がいた。その他、川上貞奴(1871年〜1946年)や森律子(1890年〜1961年)など、時代の逆流に抗して、「女優への道」に挑んだ果敢な人はあれこれいる。
ま、現代では、舞台女優といえば初代水谷八重子(1905年〜1979年)や山田五十鈴(1917年〜2012年)、そして、北林谷栄(1911年〜 2010年)とか、杉村春子(1906年〜1997年)が想起できる。
断っておくが、現今のテレビドラマなどにチョロチョロ出たくらいでは、女優とはいわないのダ。
●どうでもいいコトだけど――
それなりの歴史のある映画だって素直に「女優」と称される人は、田中絹代(1909年〜1977年)、高峰秀子(1924年〜2010年)、山本富士子(1931年〜)、京マチ子(1924年〜)、望月優子(1917年〜1977年)……など、何人かの人を挙げられるが、それぞれに独自の才能とキャリアをもっていたゼ。
●どうでもいいコトだけど――
「演出」という仕事についていっても……採用するかしないかは別だが、「スタニスラフスキー・システム」の概略でもかじっていればまだしも、「他人の見よう見真似」で「それらしいコト」をやるヤツはゲーノー界にはいろいろいるがね。
「真似ごとはどこまでいってもマネごと」で、「才能」とは無関係だ!
●どうでもいいことだけど――
よく、「俳優」の経験をベースに「俳優養成」の指導をやっているが、これもたいていマユツバものだ。
かつて、古くは小杉勇(1904年〜1983年)というベテラン俳優が、また田中絹代や山村聰(1910年〜2000年)などが映画監督として制作した映画作品があったが、たいてい1作品で終わった。「趣味の仕事」の域を出なかったのだ。
(質はともかく、映画監督としての持続力はゼロだったネ)
●どうでもいいコトだけど――
今回の鳳恵弥、牧野美千子という「女優」はいわば「テレビタレント」だから、さらに演出の鈴木砂羽やプロデューサーの江頭美智留ともども、失格者揃いで浅慮なトラブルだ。
高速道路でのドライバーだったら、間違いなく死傷者の出る大事故になっていたゼ。
テレビメディアにまつわるトラブル同様、浅はかとか、軽率が根っこにあるんダ!
●どうでもいいことだけど――
たとえば、笑福亭鶴瓶とやらの「ハワイの別荘ばなし」も、アングラっぽい小劇団出の俳優笹野高史の「真紅のオープンカー」も、泉ピン子の「熱海の豪邸」の公開も、テレビのおかげ――その一般公開は、「下司下品を見せびらかし」である。
もともと新劇(俳優座系劇団)出身で、テレビドラマに出たり、映画にも出たが、バラエティの司会で売れた(?)AKとその奥さんの元タレントなどは、ヒラヒラの天蓋ヴェール付きのベッドをテレビ公開して――後に主宰劇団の女性と亭主のAKが不倫していたことがバレてさ。ひたすら情けない。
●どうでもいいコトだけど――
テレビのおかげで「運よく成り上がった者」って、揃いも揃って品性下落するようだね。噫々!
●どうでもいいけど――
「週刊女性」の広告にあったけど「お騒がせガールズの政治家としての賞味期限は? 山尾志桜里/今井絵理子/豊田真由子」――彼女たちたちを選んだお人好し選挙民って……こまったモンダ!
わが家の小庭の花たちの思い出