あの人もこの人も有名になった


ラジオドラマ“風雲黒潮丸

 なにしろ、原稿用紙の使い方もろくに知らないニイちゃんが、叔父小沢不二夫の導きでとにかく放送作家らしきことを始めた。
 叔父は「月の影法師」とか「風雲黒潮丸」といった人気ドラマを書いていた。ラジオが愛聴されている時代だった。
 この時、新人歌手としてデビューしたばかりの島倉千代子サンが歌と役で出演している。 たしか手元に、録音スタジオの扉の前で台本を手にした初々しい彼女の写真がある。
 そして、美少年だった(?)津川雅彦サンも出演していた。 「風雲黒潮丸」は当時、中村(萬屋)錦之助、大川橋蔵、東千代之介らと並んで東映美剣士として人気を集めていた伏見扇太郎の主役で映画化されている。

叔父が脚本を担当した番組
 こうしたドラマ作りの現場は、熱気にあふれていて、きわめて刺激的だった。
 そういえば、まだ有楽町にあったラジオ東京(現TBS)で、叔父小沢が脚本を担当していた「鶴田浩二アワー」「淡島千景アワー」などという番組もあった。
 鶴田浩二も淡島千景も燦然と輝く映画スターだった。その脚本も手伝った。
 淡島千景さんの「唐人お吉」を書いたのをしっかり記憶している。
 ニッポン放送では、その後、政治家の奥さんにおさまった司葉子さんの文学作品を朗読する番組の脚色を担当した。
 彼女もスターだった。美人だった。
 庄野潤三の作品だったか、文章の中に「肘鉄砲」という言葉があり、彼女は「マタデッポウ」と誤って読んだ。
 スタジオ内でのエピソードとしてある新聞の芸能記者についもらした。たちまちコシップとして書かれた。 「近いうちに家へいらっしゃいね」というお招きは、ついに実現しなかった。

本名の必要のなくなった人間
 日本放送作家組合と言う団体がある。その発会式が東京有楽町にあったビデオホールというところで行われた。
 昭和34年9月18日のことだ。
 その時の記録写真の座席の最前列には、舞台やラジオ(テレビはやっとスタートしたばかりだった)で健筆をふるっていた先輩作家たちが居並んでいる。
 叔父小沢不二夫をはじめ、劇作家の八木隆一郎、大垣肇さんなどなどがいる。
 たまたまその写真に、スリムなわたしが兄弟子だった宮本京二サンと写っている。
 われわれの前列には、若き日の野坂昭如サンの顔もある。
 芒々、42年の歳月が流れている。
 そういえば、叔父小沢不二夫も八木隆一郎さんも、大垣肇さんも亡くなった。
 映画黄金時代の中村錦之介、大川橋蔵、東千代之介、伏見扇太郎・・・・すでに逝った。 「名声ののちにあるのは忘却である」と先人は言う。でも思いでの中に彼らは生きている。「有名人とはなんだろうか。本名の必要のなくなった人間である」とはカミユの言葉だ。

— posted by 本庄慧一郎 at 06:12 am  

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