トップエッセイ著作オンライン小説読み語りプロフィールお問合せ
 
<目次に戻る
 
パート2
第84回 2006.10.13
第83回 2006.10.06
第82回 2006.09.29
第81回 2006.09.22
第80回 2006.09.15
第79回 2006.09.08
第78回 2006.09.01
第77回 2006.08.25
第76回 2006.08.18
第75回 2006.08.11
第74回 2006.08.04
第73回 2006.07.28
第72回 2006.07.21
第71回 2006.07.14
第70回 2006.07.07
第69回 2006.06.30
第68回 2006.06.23
第67回 2006.06.16
第66回 2006.06.09
第65回 2006.06.02
第64回 2006.05.26
第63回 2006.05.19
第62回 2006.05.12
第61回 2006.05.05
第60回 2006.04.28
第59回 2006.04.21
第58回 2006.04.14
第57回 2006.04.07
第56回 2006.03.31
第55回 2006.03.24
第54回 2006.03.17
第53回 2006.03.10
第52回 2006.03.03
第51回 2006.02.23
第50回 2006.02.17
第49回 2006.02.10
第48回 2006.02.03
第47回 2005.07.25
第46回 2005.07.18
第45回 2005.07.11
第44回 2005.07.04
第43回 2005.06.27
第42回 2005.06.20
第41回 2005.06.13
第40回 2005.06.06
第39回 2005.05.30
第38回 2005.05.23
第37回 2005.05.16
第36回 2005.05.09
第35回 2005.05.02
第34回 2005.04.25
第33回 2005.04.18
第32回 2005.04.11
第31回 2005.04.04
第30回 2005.03.28
第29回 2005.03.21
第28回 2005.03.14
第27回 2005.03.07
第26回 2005.02.28
第25回 2005.02.21
第24回 2005.02.14
第23回 2005.02.07
第22回 2005.01.31
第21回 2005.01.24
第20回 2005.01.17
第19回 2005.01.10
第18回 2005.01.03
第17回 2004.12.27
第16回 2004.12.20
第15回 2004.12.13
第14回 2004.12.06
第13回 2004.11.29
第12回 2004.11.22
第11回 2004.11.15
第10回 2004.11.08
第9回 2004.11.04
第8回 2004.10.28
第7回 2004.10.21
第6回 2004.10.14
第5回 2004.10.07
第4回 2004.09.30
第3回 2004.09.23
第2回 2004.09.16
第1回 2004.09.11

パート1
第9回 2001.02.26
第8回 2001.02.21
第7回 2001.02.12
第6回 2001.02.05
第5回 2001.01.29
第4回 2001.01.21
第3回 2001.01.15
第2回 2001.01.01
第1回 2001.01.01
はじめに 2001.01.01


 あの人もこの人も有名になった パート1 第5回 

ラジオドラマ“風雲黒潮丸

 なにしろ、原稿用紙の使い方もろくに知らないニイちゃんが、叔父小沢不二夫の導きでとにかく放送作家らしきことを始めた。
 叔父は「月の影法師」とか「風雲黒潮丸」といった人気ドラマを書いていた。ラジオが愛聴されている時代だった。
 この時、新人歌手としてデビューしたばかりの島倉千代子サンが歌と役で出演している。 たしか手元に、録音スタジオの扉の前で台本を手にした初々しい彼女の写真がある。
 そして、美少年だった(?)津川雅彦サンも出演していた。 「風雲黒潮丸」は当時、中村(萬屋)錦之助、大川橋蔵、東千代之介らと並んで東映美剣士として人気を集めていた伏見扇太郎の主役で映画化されている。

叔父が脚本を担当した番組
 こうしたドラマ作りの現場は、熱気にあふれていて、きわめて刺激的だった。
 そういえば、まだ有楽町にあったラジオ東京(現TBS)で、叔父小沢が脚本を担当していた「鶴田浩二アワー」「淡島千景アワー」などという番組もあった。
 鶴田浩二も淡島千景も燦然と輝く映画スターだった。その脚本も手伝った。
 淡島千景さんの「唐人お吉」を書いたのをしっかり記憶している。
 ニッポン放送では、その後、政治家の奥さんにおさまった司葉子さんの文学作品を朗読する番組の脚色を担当した。
 彼女もスターだった。美人だった。
 庄野潤三の作品だったか、文章の中に「肘鉄砲」という言葉があり、彼女は「マタデッポウ」と誤って読んだ。
 スタジオ内でのエピソードとしてある新聞の芸能記者についもらした。たちまちコシップとして書かれた。 「近いうちに家へいらっしゃいね」というお招きは、ついに実現しなかった。

本名の必要のなくなった人間
 日本放送作家組合と言う団体がある。その発会式が東京有楽町にあったビデオホールというところで行われた。
 昭和34年9月18日のことだ。
 その時の記録写真の座席の最前列には、舞台やラジオ(テレビはやっとスタートしたばかりだった)で健筆をふるっていた先輩作家たちが居並んでいる。
 叔父小沢不二夫をはじめ、劇作家の八木隆一郎、大垣肇さんなどなどがいる。
 たまたまその写真に、スリムなわたしが兄弟子だった宮本京二サンと写っている。
 われわれの前列には、若き日の野坂昭如サンの顔もある。
 芒々、42年の歳月が流れている。
 そういえば、叔父小沢不二夫も八木隆一郎さんも、大垣肇さんも亡くなった。
 映画黄金時代の中村錦之介、大川橋蔵、東千代之介、伏見扇太郎・・・・すでに逝った。 「名声ののちにあるのは忘却である」と先人は言う。でも思いでの中に彼らは生きている。「有名人とはなんだろうか。本名の必要のなくなった人間である」とはカミユの言葉だ。
2001/01/29