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パート2
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第1回 2001.01.01
はじめに 2001.01.01
  

エッセイ「ニッポンの芸能人」シリーズ41 パート2 第47回 


前進座の中村梅之助の68年間。
 さる6月25日付の朝日新聞の文化芸能欄の「清貧貫き前進座の志守る」のコラムを再読する。
 前進座は来年2006年には創立75周年を迎えるという。
 中村梅之助の父親は、名優中村かん右衛門。息子はテレビでおなじみの中村梅雀。
 かん衛門はコンビの河原崎長十郎とともに劇団前進座を興した。
 前進座は「演劇コミューン」として、日本で唯一のコンセプトのもとに、吉祥寺に劇場とけい古場と共同生活の拠点を創設した。
 中村梅之助は7歳から役者として集団生活をはじめて68年間経ったという。
 「劇団員の給料は7段階に分かれていますが劇団代表の私と一番下の者では20万円と違わない」という文章がある。
 中村梅之助や前進座の舞台をじかに観たことのない人も、テレビの「伝七捕物帳」のあの役者(あるいは、指でヨヨイのヨヨイのヨヨイのヨイと調子をとるフィナーレの)といえば思い出されるだろう。
 「伝七」のほか「遠山の金さん」など800本ほどの番組に出演した人気スターだった。
 だが彼の説明によればその出演料のほとんどが劇団収入になり、個人のふところを潤してはいないとか。

〔清貧〕という生活
 現在のゲ−ノ−界、とりわけテレビ界を右往左往する連中にとっては〔清貧〕という言葉は死語だろう。
 こんなヤツがどうして? という「人生狂い咲き」のような人間と、どうにもこうにも手のつけようのないゴミのようなビンボー・タレントが混在してうごめいているテレビ界だが、しょせん〔清貧〕といった質の者は見当たらない。
 コントやマンザイやバラエティ志願の者はひとからげにして、ひたすら卑しく、あざとく、下品である。

新劇といわれた「志ある劇団」は?
 ひと昔まで、日本の演劇界には「新劇」という一分野が厳然と存在した。
 たとえば劇団民芸、劇団俳優座、そして劇団文学座。その他、ここから分派分裂した中小劇団は枚挙にいとまがないが、その三大劇団の最近の活動はまるで冴えない。やっとこ具体化した正規公演もいまさしたる評価も成果も稀薄だ。
 なにしろ、三大劇団の主だった俳優たちもせっせとバラエティ番組でおちゃらけたり、アイドル風タレント主役のワキでお茶を濁しているのが現状なのだから。
 もちろん、舞台の公演にたいしてはそれなりの努力はしているのだが、これがさっぱり面白くない。魅力がない。
 けっこう高い入場料を払ってよく劇場に出かけるが、たいてい「?」か、不満だらけの「!」である。

三好十郎著「新劇はどこへ行ったか」
 上記のタイトルの三好十郎著の本は昭和55(1980)年に出た。(東京白川書院)
 三好十郎には書斎での口述筆記の手伝いやら、短期間ながら劇団戯曲座の文芸演出部員として、じかにその馨咳(けいがい)に接している。
 つまり三好十郎はいまから四半世紀以前にいわゆる新劇という分野の演劇が骨抜きになることを予言していたのだ。
 ちょっとばかし収入がよくなると誰しもさっさと初心などかなぐり捨てる。つまりは金の儲からないシバイなんか捨ててさっさとテレビ・タレントになるというわけだ。

金まみれ・欲まみれ。そして……。
 テレビ業界には「成り上がり者」がワンサといる。
 すでに成り上がり企業家の醜聞まみれの凋落劇をいくつも見せつけられてきたが、ゲーノー界にもこの人種は多い。
 ただワーワー・キャーキャー自分たちだけで騒いでいるような番組でごっそり貯め込んだタレントも、時を経ずして、というより、あっというまにガタガタになる。要するにからだを壊すか心を歪めるか、はたまた家庭を崩壊させるか……。
 それやこれやを思うとき、中村梅之助の上記のコラムの一文をあらためて思い出す。
「私は貧しい俳優です。だからいいのです。そうでないと貧しい人の気持ちがわからない。一杯のラーメンを本当にうまいと思う人間にならないといけない」
 手元にある「創立55周年・グラフ前進座」というアルバムの頁をくる。
 歌舞伎の古典から現代物の創作劇、そして青少年劇場まで多彩なレパートリーと活躍の記録――こういう演劇集団の価値をまともに評価しない国、それが日本なのだ。
 テレビ業界も今後急速に通信メディアとの連携で大変革するだろう。
 あのチリ・アクタのような騒音タレントが消えてくれるといいなあ。
 
大正・昭和の演劇パンフレット、多数あります(以下は一部)。
お問合せは望田企画室内「日本演劇愛好・普及クラブ」/FAX:03-3928-4255
新国劇一座
昭和四年
青年歌舞伎劇
昭和十一年
帝国劇場
昭和二年
市村座
昭和三年

2005/07/25