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はじめに 2001.01.01
  

エッセイ「ニッポンの芸能人」シリーズ21 パート2 第27回 


「カリスマ」という言葉。
 堤義明なる人物の栄光(らしきこと)と挫折について、例によってマスコミは飢えたハイエナのように食らいついている。
 そのマスコミの一端を占有してきたニッポン放送・フジテレビもまた同業他者に食らいつかれて右往左往している。
 そして、31歳でもうギラギラと脂ぎった面をした男が現代のヒーロー風にマスコミ界を闊歩する――。
 そうでなくても、現今の政治・社会、やたら苛立たしい事象ばかりだが、どの人物も例外なく不快感を増幅する輩ばかりだ。
 ところで、このところマスコミがみだりに乱用する言葉に「カリスマ」がある。
 この言葉はドイツ語で「奇跡や予言など超人的なことを行う天賦の能力。超人的な能力や資質によって、大衆の感情を操ることができる統率力」(imidas)とある。
 この「カリスマ」、最近では、町の美容師や日本料理の板前や、ときにはラーメン屋のオジサンにもくっついていたから、どうせろくでもないものと思っていた。
 堤ナニガシ氏はあからさまにそれを証明してくれた。(そう、いまさらのようにね)
 かつて、あの狂気の総統ヒットラーは「カリスマ」と称されたが、彼の思惑と行動のもたらしたものは、大量殺戮と目をおおう荒廃だけだった。
 そういえば、堤氏に限らずカリスマ経営者ともてはやされた者たちは次つぎと失墜していった。この種の「ニセ・カリスマ」はワンサといてそれこそ、〔枚挙にいとまがない〕。

高く上ったものほど落ちやすい。
 上記の言葉は古代ローマの哲学者セネカがいった。
 事業家としての堤氏の来し方とその転末についてそっくり当てはまる言葉のように思えるが、どうかな?
 というのは、彼は果たして「高く上がった」とはとても思えないからだ。
 父親康次郎氏の作ったクローン人間、といわれている事業家としての「質」もあるが、それだけではない。
 彼は「私利私欲」という醜悪な地べたをただひたすら這い廻っていただけなのだから。
 「家訓」とか「遺訓」といった呪縛は、自我や自主を培うことをしなかった哀れな若者をたんなる「守銭奴」に追いやっただけだ。
 その当初から、きわめて明確に見極められたはずの経営者としての、また人間としての過誤や錯誤や、また確信犯的な欺瞞や詐術などを放置してきた側近連中の無責任さや無能さともども、なんともヒドイね、としか申し上げられません。

もっと日本語を活用してみたら?
  堤氏のような人間は「カリスマ」ではないのです。たとえば、ハダカの王様とか、お山の大将(おれ一人)とか、バカ殿様とかね。それに「ドン・キホーテ」とかもあるでしょうが。
 そうです。ぼくはこのところ時代小説を書いているが、彼の日常生活の一部始終を知ると、まさしくバカ殿様以外のなにものでもないようだ。
 徳川綱吉などという五代将軍の思惑や行動には、たんなる異常者としかいえないものが沢山ある。歴史の資料のあれこれを突き合わせてみても、綱吉と同質の「思い上り将軍」はずいぶんいたようだ。
 徳川家の創始者家康はこういっている。
 「及ばざるは過ぎたるより優れり」とね。
 しかし、金と権力を手にして者は、結局はオーバーランするのだ。人間ってしょせんは浅ましく哀しい動物なのでしょう。
 孟子というオジサンは「力を似って人心を収斂した者を覇者という」などと口走っているが、でもぼくとしては「独裁はつねに単なるアリアであって、けっしてオペラそのものではない」(ルードヴィヒ――独・作家)にうなずく。
 それにしても、いまのゲーノー・マスコミ界には堤のオジサンをグーンと小粒にしたような、セコイのがいっぱいウロウロしてますよ!
 そういえば、アメリカに刑務所に服役した「カリスマ主婦」というのがいました!

大正・昭和の演劇パンフレット、多数あります(以下は一部)。
お問合せは望田企画室内「日本演劇愛好・普及クラブ」/FAX:03-3928-4255
新国劇一座
昭和四年
青年歌舞伎劇
昭和十一年
帝国劇場
昭和二年
市村座
昭和三年

2005/03/07