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パート2
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第9回 2001.02.26
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第3回 2001.01.15
第2回 2001.01.01
第1回 2001.01.01
はじめに 2001.01.01
  

エッセイ「ニッポンの芸能人」シリーズ48 パート2 第55回 

芸能プロデューサー麻生芳伸さんの訃報。
 06年3月19日(日)、中野サンプラザの13Fスカイルームで「麻生芳伸さんを偲ぶ会」あった。
 麻生さんは芸能プロデューサーで、現在、書店に並んでいる「落語百選」(4巻)、「落語特選」(2巻)をはじめ、さまざまなが芸能関係の著書がある。
 プロデューサーとしてのあれこれの仕事の中でも、津軽三味線の高橋竹山さんをメジャーにしたことは特記すべきだろう。
 05年夏、ぼくは落語の「寿限無」のようにやたら長ったらしい名の疾病に取り憑かれた。「ギラン・パレー症候群亜型ミラー・フィシャー症候群」という。
 地獄の底を這いずり回るような体験を強いられたが、担当医師の好判断、リハビリ療法士の皆さんの指導、そして家族のフォローとで現在は〔完全復活〕したが、麻生さんはぼくの「外出OK」を急がせるようにして、中野沼袋の呉服商、山田屋社長・西村重博さんに紹介してくれた。山田屋さんのお宅には100人も収容できる日本座敷と本格的な桧舞台があった。(別にこれも立派な音楽ホールもある)
 ぼくはさっそく桂小金治師匠をご紹介した。師匠は本年80歳を迎えたが、「噺家としての高座に再挑戦!」に情熱を燃やしている。
 さっそく麻生さんプロデュースで、山田屋さんのお座敷で小金治師匠の独演会を――という企画が具体化されることになった。
 そしてぼくの念願である「時代ものの新作落語を」も実現に一歩近づいた。
 05年11月22日、横浜にぎわい座に出演した小金治師匠を麻生さん、そしてワイフの3人で聴きにいった。
 が、それから1ヶ月と9日後に、麻生さんはガンで急逝したのだ。

岡部伊都子さんへの麻生さんの思い。
 随筆家岡部伊都子さん(83)へ、麻生さんはずっと思いをつないできた。05年3月には大沼洸著「岡部伊都子へのめぐる想ひ・櫻レクイエム」を麻生さんみずからの手で出版している。
 ぼくが放送作家として仕事を始めたころ(1956――昭和31年)、ラジオ番組で「400字の言葉」というのがあり、よく耳を傾けていた。岡部さんが書かれていたのだ。当時のエッセイ集「おむすびの味」なども買い求めていた。書庫のどこかにあるはずだ。
 その岡部さんは、戦時中、フィアンセの木村邦夫さんに「この戦争は間違いやと思うてる。僕は天皇陛下ために死にたくない」と言われ、岡部さんはそのとき「わたしだったら喜んで死ぬけど」と答えたということを書きしるしている。その後、木村さんは沖縄で砲弾で両足を失い、自決した。
 岡部さんは以来、自分を「加害の女」と称して自責の念を背負って生きてきた。その岡部さんははっきりと「戦争と差別が憎い」「(憲法)九条が危ういな。九条を守ることが憲法やがな」とおっしゃる。

人と人の縁(えにし)のこと。
 現在ご活躍中の「辛口評論家」、佐高信さんがおられる。ずっと以前ぼくが制作担当したラジオ番組にゲスト出演していただいたことがある。
 この佐高さんが、岡部さんと親交があることを知った。
 佐高さんには沢山の著書があるが、政治・経済から文芸・テレビ・芸能にいたるまで対象とする分野は広い。その視点、論旨、判断、そして結論に共感し、拍手する。(ちなみに最近再読した本「佐高信の言語道断」「佐高信・喜怒哀楽のうた」(以上徳間文庫)「佐高信・タレント文化人・筆刀両断」(ちくま文庫)「田原総一郎よ驕るなかれ」(毎日新聞社)をしるす。ぜひ、お読み下さい)
 それにしても、麻生芳伸さん、岡部伊都子さん、佐高信さんとのえにしをあらためて思う。
 そう、「偲ぶ会」には、小沢昭一さん、伊東四郎さんのお花が飾られていた。そして、いまミュージカルの舞台等で大活躍の俳優・歌手上条恒彦さんと久しぶりに再会した。上条さんとはTBSラジオで「上条恒彦、そして歌」(だったと思う)という資生堂提供の番組をご一緒した。
 ぼくは「献盃」のごあいさつをとのいきなりのご指名についオロオロしたが、しめくくりは「再見!」(チャイチェン)という言葉でしめくくった。

大正・昭和の演劇パンフレット、多数あります(以下は一部)。
お問合せは望田企画室内「日本演劇愛好・普及クラブ」/FAX:03-3928-4255
新国劇一座
昭和四年
青年歌舞伎劇
昭和十一年
帝国劇場
昭和二年
市村座
昭和三年
2006/03/24