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パート2
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第2回 2001.01.01
第1回 2001.01.01
はじめに 2001.01.01
  

エッセイ「ニッポンの芸能人」シリーズ31 パート2 第37回 


過密と過剰と劣悪化。
 仕事の打合わせで久しぶりに渋谷に出かけた。
 以前はトコトンなれ親しんだ街だった。
 現在の渋谷の街の印象は〔異常〕だった。
 その異常さは〔過密〕と〔過剰〕と〔劣悪〕のファクターによって進行し、重症化している。
 街のそこここにたむろし、徘徊する若者たち男女と、彼らを顧客として待ちうけるさまざまな店の虚飾と虚構は、ドサ廻りの見世物に等しい。
 それは、新宿や池袋や、原宿や六本木等の盛り場に共通するいかがわしさ、卑しさだ。
 そこにあるものそっくりが、過密と過剰と劣悪の極彩色に塗りたくられている。
 いずれも「こんなシチュエーションはそのまま犯罪に直結するはず」の直感を余儀なくされるし、またその直感は日々、現実に立証されている。
 珍奇なファッションで街角にたむろする若者たちは犯罪とかかわらずにいられないだろう――? そう思わざるを得ない。

JR西日本とTV業界とそこに働く者たち。
 効率(利益)最優先のJR西日本の体質とテレビ業界の体質は、そっくり同じである。
 つまり、テレビ業界の効率最優先とは、〔視聴率――利益〕最優先と同義語である。
 かのホリエ騒動のとき、テレビ業界の人間が公共性だの情報性だのと口走ったが、永らくテレビ業界に働いてきたぼくとしては、ひたすらチャンチャラおかしかった。
 近頃、エンタ−テインメント番組のすべてが、おちゃらけと出演者のバカ騒ぎで終始している。
 とりわけ週末におけるソレなどは、10代の渋谷のガキと似たようなのをウロウロさせて、出演者だけで勝手に騒いでいる。
 そこに挿入されるCM群の、これまたヒドイこと。どれもこれも図にのってバカ騒ぎをしている。制作スタッフの感覚もダサイが広告主の愚かしさにも肚が立つ。
 それと(元ギョ−カイ人間として言うが)、番組のCM頻度がやたら多い。あれはCMの放送規定を完全に無視している。
 ある歌謡番組を眺めていたら、ほとんど1、2曲ごとに愚にもつかない悪ふざけCMがのさばっていた。間違いなく規定違反だと思う。
 5月15日(日)の朝日新聞の「声」欄の「CMが損なう事故の厳粛さ」の意見を待つまでもなく、ニュース情報番組における劣悪CMの跳りょうは言語道断である。
 「懸命な救助活動、安否を気遣う家族、親や子ども・友人らを失い悲嘆にくれる映像が突如変わると、歌い踊り、飲んだり食ったりのばか騒ぎのCM……」という憤激の意見も、民放の責任者たちには「馬の耳に念仏」だろう。
 経営責任者にも制作スタッフにも、〔常識〕という自覚が欠落しているのだ。

卑しくあさましい遊びたがり屋たち。
 職場の懇親と称して、卑しくあさましく遊びたがるのはJR西日本の連中ばかりではない。
 大阪市役所の連中も、道路公団の連中も、のべつ赤坂あたりの料理屋に出入りする政治家や役人たちにも、自分のカネを使わない遊びや飲み食いは日常化している。
 それに、テレビやCMギョーカイの連中も同病である。
 飲み会・カラオケ・ボーリング? いや、たいてい賭けマージャン・賭けゴルフ、あげくは……ホントにまあ、どちら様も卑しくあさましいようでね。
 ひと昔前、CM制作にかかわっていた頃、Dという広告代理店の者などは、海外ロケというと会社から出張費や手当てをもらいながら、実際の費用は制作会社に負担させて、ロケ先で女などと遊んでいた。
 あんなギョーカイにいると、やがてはやはり、〔異常〕が〔正常〕に見えてくる。それもイヤでぼくはエスケープした。

 人生のダイヤグラムの過密と、やたらバカ騒ぎしながらの遊び過剰と、そして自己喪失と……。
 いや、〔過密〕と〔過剰〕のウズの中心には、人間としての心を喪失した人間たちが騒いでキリキリ舞いをしているのだ。
 いま地方都市の〔空洞化〕が深刻だとか。
 故郷をおもちのみなさん、〔過密〕と〔過剰〕と〔劣悪〕の都会からぜひご自分が生まれ育った場所に帰って、なんとか知恵をしぼって、自分の一生を悔いのない着実なものにして下さい。
 東京で生まれ育ったぼくの、切なるお願いです。

大正・昭和の演劇パンフレット、多数あります(以下は一部)。
お問合せは望田企画室内「日本演劇愛好・普及クラブ」/FAX:03-3928-4255
新国劇一座
昭和四年
青年歌舞伎劇
昭和十一年
帝国劇場
昭和二年
市村座
昭和三年

2005/05/16