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パート2
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はじめに 2001.01.01
  

エッセイ「ニッポンの芸能人」シリーズ15 パート2 第21回 


生理用品から公園墓地まで
 テレビ・ラジオの広告・コマーシャルの仕事では上記の小見出しのコピーそのまま「生理用品から公園墓地まで」やった。扱ったことのない「必需品」としては棺桶ぐらいか。
 なにしろ「いま○×の棺桶をお買い求めになると新品をもう一つプレゼント」というわけにはいかないモノだからね。
 うんざりするほどの数の制作物の中でもとりわけ印象ぶかいのは、スコッチウィスキー「カティサーク」のTVCMである。
 企画・コピー・作詞・プロデュースまで担当した忘れられないものだ。
 スタンダードものの出演者は真野響子さん。12年ものスペシャルは先代松本幸四郎さん。(のちの白鸚さん。そしてこの人が初代の「鬼平」であることは皆さんおなじみ!)
 企画・コピー・作詞はもちろんぼく。
 歌は、北原ミレイさん、小林幸子さん。
 作曲は北原ミレイの分は故八木正生さん。小林幸子分は三木たかしさん。
 白鸚さんの楽屋(京都南座?)へいってお話したり、鎌倉八幡宮鳥居前のお宅へ参上して打合わせをした。
 美しい奥さま(現在の松本幸四郎・中村吉右衛門さんのお母上で、市川染五郎・松たか子さんのお祖母様)がレストランを経営なさっていて、上等なワインとフランス料理をごちそうになった。

ジェントルな白鸚丈
 白鸚丈のご子息たち――松本幸四郎・中村吉右衛門さんはこれまた折目正しい紳士でいらっしゃるが、白鸚丈は当時すでに「人間国宝」の称号でよばれていたが、じつにおだやかで気品のあるお方であった。
 アルコールは体質的にあまり合わないということであった。(アサヒビールの高倉健さんも同様だった)
 「カティサーク」のCMの映像構成は、歌舞伎の「トンボ――空転」のけい古風景で、白鸚丈の左右に並ぶ若手俳優が、中心にいる袴をつけた白鸚丈の気合いをきっかけにいっせいにトンボを切る――そのユニークな動きをあの「東京オリンピック」を撮影したカメラマン・長野重一さんがスローモーションで撮った。(その画面の美しかったこと!)
 場面変わって、和室で白鸚丈がカティサーク12年もののオンザロックを味わうという段取りだ。
 その時、白鸚丈は、手にしたオンザロックのグラスにたいしておもむろに顔を近づけてのんだ。
「あの……それは日本酒の升酒をのむ場合で、ウィスキーの場合はグラスを唇に近づけてください」と恐る恐る注文した記憶がある。
「いやあ、不勉強ですみません」と破顔一笑したお顔が忘れられない。
 愚にもつかないテレビにのさばる現今のタレントたちにはないジェントリーと、そして決してエラぶらない謙虚なお人柄だった。

真野響子さんはホンモノ美人
 あのころ、NHKで「御宿かわせみ」というドラマが始まったのだ。
 ぼくは師匠の三好十郎氏(滝沢修「炎の人――ゴッホ」などの名作戯曲を書いた劇作家)のかかわりで劇団民芸のファンだった。
 真野響子さんは当時、民芸の所属で、なんとか出演してもらうことになった。
 和服の真野さんがカティサークのロックを味わいながらふっと涙ぐむシーンがある。
 彼女は目薬なんてものを使わず、何度もホンモノの涙をうかべてくれた。
 そのシーンに、北原ミレイさんの「名前で呼んであしたから〜」の歌声。そして名トランペッターの光井のバンちゃん(章夫さん)のサッチモ風のサウンド・ロゴ、「カティーサーク〜」とひと声で黄色いラベルのボトルできまる。
 この光井さんのトランペット、そしてクルーを率いたクラリネットの北村英治さん、故人となられたピアノの瀬良譲さん……と、思い出のえにしの糸はつながる。また次回で。

大正・昭和の演劇パンフレット、多数あります(以下は一部)。
お問合せは望田企画室内「日本演劇愛好・普及クラブ」/FAX:03-3928-4258
新国劇一座
昭和四年
青年歌舞伎劇
昭和十一年
帝国劇場
昭和二年
市村座
昭和三年
2005/01/24