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パート2
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第2回 2001.01.01
第1回 2001.01.01
はじめに 2001.01.01
  

エッセイ「ニッポンの芸能人」シリーズ61 パート2 第68回 


言葉をゴミにするラジオの公共性?
 昨夏(05年8月9月)、2ヶ月の入院生活をした。
 主治医の予想では、治療とリハビリで都合4ヶ月〜5ヶ月かも、とも言われたが、「請願して」2ヶ月で退院させてもらったのである。
 診断書には「原因不詳」と明記されたユニークな疾病で、強いて言えば「風邪」、もしくわ「まじめに働きすぎる」ということだった。
 なんにしても2ヶ月という「別荘暮らし」にはたっぷりの時間があった。
 娘夫婦が用意してくれた名作落語のCDをくり返し聴いた。
 そして、ラジオの深夜放送にじっくりと耳を澄ました。
 かつては放送作家として構成台本をウンザリするほど書いていた。
 現在の深夜放送は、ごく一部の番組を除いてはほとんどは「コトバのごみ捨て場」のようだった。
 面白いとか楽しいとか、はたまたいい気分にさせてもらうことはもちろん大歓迎だが、いずれの番組もパーソナリティなる者の悪ふざけでとても耐えられるシロモノではない。
 例によって「公共放送」という四文字のシラジラしさを痛感した。
 とにもかくにも、出演者及びその取り巻きたち(タイコ持ち!)の勝手な悪ふざけは、リスナーへの配慮がゼロで、言葉そのものがノイズ化されていて、ひたすら意味不明であった。

うさん臭い人間ほどよく喋る
 そういえば、ホリエとかムラカミといった男たちは、何かにつけてよく喋った。とりわけ彼らの行動が事件性をおびてきてから以後、実にペラペラと喋った。
 この種の者の話は総じてその量に反比例して主旨や意味が不明確である。
 現在、大いに流行している詐偽集団の連中――リフォーム詐偽から振り込め詐偽に至るまで、彼らはやみくもに喋る。
 つまり、言葉の煙幕をめぐらすことで相手を混乱させて、穴に落とし込むのだ。
 ついでに思い出したが、苫小牧市の元市長の弁明なども、まるで意味不明であったし、日銀総裁のフクイという男の弁明も同断であった。
 もちろん、秋田のハタケヤマ・スズカなる女史の弁明や釈明も最初から?であった。
 テレビなどでベラベラ喋っている者は、だいたいうさん臭いと思ってしまうようになった。
 いや、本当にずる賢い悪党は姿を見せず、余計なことは喋らないのだ。

演劇の俳優たちは言語表現のプロか
 演劇の舞台には直接かかわっているし、生活するための仕事が小説書きだから、(なにせ、日本語にかかわってざっと50年暮らしてきた)、どうしてもコトバ・ことば・言葉が気になる。
 演劇の舞台ではかなりの俳優たちが、とてもプロとは思えないのが多い。
 あれは、ノダ・ヒデキの芝居あたりからの傾向か、やたらせりふをがなる、叫ぶ、喚くというのが常態化した。
 音量はデカイが、まるで意味不明なのである。
 いちいち具体例を列挙するのはたやすいが、……ともかく「もの言う術」の手薄なこと、ダメさかげんにいまや歯止めはないようだ。
 何度も書いたことだがテレビのバラエティ番組をはじめ、複数の出演者がガン首を並べる番組では、もうまっとうな言語表現は存在しない。
 そこにあるのは、自己完結のノイズだけだ。
 演劇の舞台だって似たようなものだ。

いまさらの如く美空ひばりを思う
 美空ひばりの17回忌記念の3時間にわたるテレビ特番を観た。
 デビュー当時の「女の子」だった時の歌唱力、そして晩年の表現力を再確認したが、余計なスーパーなど必要としない明確さと、言葉に託す美空ひばりの情念の豊かさ、その表現技術にあらためて感嘆した。
 それにひきかえ、最近の若い歌手(や俳優などの表現者たち)の稚拙さ、幼稚さ、未熟さには、ただゲンナリするばかりだ。
 偽装と虚偽と詭弁が横行する時代には、言葉はすべてゴミにされる。
 そういえば「劇場型政治」といわれたコイズミ路線も、言葉はウツロで軽かった。やはり、あの人の言動にはうさん臭さがつきまとっている――。

大正・昭和の演劇パンフレット、多数あります(以下は一部)。
お問合せは望田企画室内「日本演劇愛好・普及クラブ」/FAX:03-3928-4255
新国劇一座
昭和四年
青年歌舞伎劇
昭和十一年
帝国劇場
昭和二年
市村座
昭和三年
2006/06/23