図にのるヤツほど淋しがり屋である
テレビを中心とするマスコミ業界では、ちょっと人気が出てくるととたんに図にのるヤツが多い。
前回も書いたのだが、人気が出てきても、また人気が上昇しても、それ以前とマナーや言動が変わらないというのは、やはり生まれつきのお人柄である。
「成り上がり者」の多いこの業界のこと、コロリとひょう変するヤツが多いのは、なんとも哀れな現象である。
来たる2005年は、「デュークエイセス結成50年」ということで、自分の50年をもかえりみた。
長いおつきあいになった人(以下、本文中敬称を略させていただきます)
かつてニッポン放送の午前8時に(テープネットでの全国放送)「サザエさん」という番組があった。叔父小沢不二夫の脚色で10年近く続いたのではなかったか。その当時、助手としてせっせと「書く」お手伝いをした。
サザエさんのお父さんが東野英治郎、お母さんが三戸部スエ。サザエさんが市川すみれ。ワキには若き日の(!)岸田今日子、小沢昭一が出演していた。
その小沢昭一は20代の青年であった。
はじめは、ヘンなお婆さんとかゴムひもの押し売りなんかのチョイ役で、その後、酒屋のきく屋さん役のレギュラーになった。
当時、有楽町のスタジオで、東野英治郎大先輩のカンロクあるお姿を何度も拝見している。
なんとも「味わいのある」お人柄だった。
日活映画などで活躍する以前の若き小沢昭一はすでに、「居ながらにしての三枚目」で、御大東野英治郎から「昭一! 昭一!」とよばれて大いにきわだっていた。
水戸黄門役者4人とのおつきあい
東野英治郎といえば(舞台のキャリアはここではおくとして)水戸黄門を思い出す。そして2代目の西村晃。この人とはフジTV「待ッテマシタ」でホンを書いた。魅力あるキャラクターだった。
この番組では桂小金治でも台本を書いた。ちょっと以前に久々に「禁酒番屋」という一席を聴き、親しくお話もした。「泣きの小金治」のことは、小沢昭一寄贈の新刊「寄席の世界」にくわしい。
そして黄門サマ3代目の佐野浅夫は、前回書いたようにTVCFのナレーションでご一緒している。
4代目は石坂浩二。この人が「ヘイちゃん」とよばれてやたら若い子にモテていた時代にご一緒している。(TBSラジオ毎日オビの詩をフィチュアしたDJ番組)
というわけで、皆さん、それぞれに忘れ難い人たちだった。(石坂・佐野ご両人は健在)
語り口のうまさとお人柄
……というサブタイトルとなると、やはり小沢昭一。そしてこれもまた長いおつきあいの熊倉一雄。いずれの方も人生でも業界でも先輩である。
小沢昭一は、井上ひさしの「唐来参和」というひとり芝居でなんともユニークで楽しい芸と、記録的な上演回数をのこした。
熊倉一雄といえば「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌とかヒッチコックの声とかがピンとくるが、劇団テアトルエコーの創立メンバーとして(牟田悌三、矢島正明という人たちも在籍していた)井上ひさしの若き日の芝居を精力的に演じてきた実績がスゴイ。
熊倉一雄のテアトルエコーが「ルーム・サービス」という舞台で、04年度文化庁芸術大賞を獲得した。
その熊倉一雄に出演ねがったラジオ番組や(ニッポン放送の「防災キャンペーン」やコミカルDJ番組や「少年ジャンプ」100万部突破のキャンペーンソングの歌など)いろいろお願いした。
そうそう、現在ボランティア活動に忙しい牟田悌三、あいかわらずの名ナレーターぶりで活躍する矢島正明……この方たちとのおつきあいも古い。皆さん、紳士である。
劇団四季の日下武史
劇団四季の創立当時、(もう半世紀前?)東京駅八重洲口の国鉄労働会館の粗末なホールなどで公演してたアヌイの「せむしの聖女」の「チリ紙+α」のようなパンフ(チラシ?)が手もとにある。
ぼくのいとこ(小沢不二夫の長女・女優水沢有美)が子役として「せむしの聖女」に出演していたこともあって、その頃の四季の舞台はよく観ていた。
ちなみにその1枚ペラペラのパンフ(10月31日〜11月9日とあるが年号が記されていない)には出演者として、日下武史・水島弘・田中明夫・高橋昌也・藤野節子・杉山紀子・緑川薫・安田千永子とある(安田千永子さん、お元気ですか?)
なお、この神田一ッ橋講堂の公演の入場料、Aは200円。Bは170円である。
つい先日分厚い「浅利慶太の四季@」という演劇論集を読んでいて、国鉄労働会館ホールとか神田一ッ橋講堂の舞台を思い出した。
そして、ほそっりとしていた浅利慶太の姿もしっかりおぼえている。さらに、日下武史の若い頃のことも。そう、日下武史の口跡に惚れてラジオ番組(TBSラジオ・TBSブリタニカ提供の「海のサイエンス」をテーマにした内容のものと、さらにトヨタの自動車のぼう大なCMなど、ずいぶん出演してもらった。
日下武史といえばやはり「エクウス」――初演から何年経ったのだろう?
ということでこの項、新年につづく――。
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新国劇一座
昭和四年 |
青年歌舞伎劇 昭和十一年 |
帝国劇場
昭和二年 |
市村座
昭和三年 |
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